11/06/02 04:49:17 8GVENSDA
>>147
>日清と義和団で賠償金ふんだくるまで明治政府が薩摩に代わる胴元になって人頭税制は続いたよ?
現実↓
1895(明治28)年1月、貴・衆両院は「請願書」を採択、
貴族院は議員発議で「沖縄県政改革建議案」まで採択した。
1895(明治28年)3月19日、日清講和交渉開始
>日清と義和団で賠償金ふんだくるまで(失笑
>明治政府が薩摩に代わる胴元になって人頭税制は続いたよ?
胴元は変わっても配当を受けるのは同じ、役立たずのNEET士族。
薩摩には速攻土下座した腰抜けの癖に、税金はしっかりたかる無能。武門の恥。
人頭税廃止運動も妨害したため、
陳情団は、大勢の農民が平良港まで護衛しなければならなかった。
それに比べて中村十作氏ときたら、自分には何の利益も無いのに、
農民の困窮に同情した、という理由だけで、
全員の滞在費を出し、かつその後も何度も単身上京して交渉を続けた。
全部自腹。さすがは上杉謙信を輩出した越後人だわ。
ぶっちゃけ、客観的に見て、ないちゃーの方が人間ができてて模範的だよね。