06/07/21 22:16:03 yi4qycVe
今回のメモ事件は、旧来の右翼・保守派に、古い思考枠組みである「天皇の人格の崇拝」からの卒業を促す、
いいチャンスだと思う。
「天皇は無謬の存在である」という信仰は、天皇の行動への批判・介入を、
民草である右翼・保守派に、チュウチョさせるに十分であった。
だから、現在の東宮殿下ご夫妻がいかにふがいなかろうと、右翼・保守派はダンマリを決め込んできたのだし、
今上陛下が「ゆかり発言」をなされたときも、あるいは、園遊会で国旗・国歌についてのご発言をされたときも、
右翼・保守派は同様に、なんら反論することはできなかった。
それどころか、一部の新右翼などは、積極的に今上陛下・現代皇室を肯定する始末。
それが、旧来の思考枠組みの下での右翼・保守派の限界なのである。
今回のメモ事件、それは、その限界が、もはやどうにもならないところにまで来ていることを、
白日の下に晒した一件であった。
おそらく、右翼・保守派は、これを機に、昭和天皇から卒業するであろう。
それはつまり、天皇の人格と、崇拝の対象としての天皇を分けて考えるということであり、
彼らにとって崇拝対象は、これまでのように目に見える人格ではなく、抽象概念としての天皇という存在に転換する。
これまでは天皇のご発言に対し、何一つ反論することははばかれたが、
これからは、大いに批評する。「ゆかり発言」も「国旗・国歌発言」も、大いに反論する。
そういう方向へ進むことが、日本の右翼・保守派が生き残る、唯一の道なのである。