06/05/08 18:40:17 /6MXIX1/
>>47>>66
鳥取でも既に清め塩は「穢れ」意識、ひいては差別意識を増長する物として人権教育
の中に組み入れられて居るみたいです。PTA経験者数名が同様の事を話していますし
ソースを失念しましたが、鳥取市、若しくは鳥取県のHPに同様の記述が有りました。
清め塩→穢れを清める
穢れ→差別意識を増長
の2段論法の様です。
では、
穢れを清める→差別意識を増長?
氏神の例祭に穢れの有る氏子は欠席→差別行為?
祝詞「祓詞」の一節「諸諸の禍事 罪穢有らむをば 祓え給ひ清め給えと 白す事を」は
差別表現?
祝詞は差別表現→神道は差別宗教?
宗教を差別宗教として差別するのは信仰の自由を保障した憲法違反
翻って、穢れ意識を差別と言うのは特定宗教団体への差別ではないの?これを公務員
である教員が人権教育と言ってPTAに人権啓発活動を行うのは憲法違反でないの?
穢れを差別といっているのがどのあたりからはこの辺の論から大体想像が付きますね。
穢れを差別と言いつのって神道の破壊を目指す勢力でも有るんでしょうか?
あと、「国家の品格」を読み始めました。慣れない人は嫌悪感を持つ場合も有るでしょうが
個人的には大半同意出来る内容ですね。筆者は武士道に心酔されているようですが、日
本が退廃した1つの要因に「宗教」を蔑ろにしすぎた弊害があるのだと思います。ユダヤ教
、キリスト教、イスラム教、仏教、神道、色んな宗教関連の本は読んできましたが国民が何
か一つで良いですから心の支えとする信仰を持たないと「新生ニッポン」はあり得ないと私
個人的には考えています。
人権条例からかけ離れた話題で申しわけありません。