05/08/29 06:30:49 MU9nG20s
>>175
警察では単なる行方不明とされていた頃
ある日、本人から家族に手紙が届いた。
やはり北朝鮮からであった。
つまり噂通り北朝鮮工作員によって拉致されていたのであった。
手紙は北朝鮮から東欧に旅行に行く友人に託して、
決死の思いで投函してもらったものだった。
(北朝鮮から日本へ手紙は出せない為)
生きていてよかった。御家族は助けたいと思った。
するとどうやって知ったのかすぐに社会党から電話が掛かり、
「絶対に警察には行くな」と言われた。
(警察発表になると、大々的な報道記事になる為ではないかと思われる)
日朝に国交はない、
しかし北朝鮮と交流し、しょっちゅう訪朝していた社会党は、
性懲りも無くその翌月も北朝鮮に行くという。
そこで御家族は社会党に
「来月訪朝されるとき、連れて帰って欲しい」と頼んだ。
翌月社会党から連絡があり
「息子さんは北朝鮮に自分の意志で住んでいる。」
だから連れて帰る必要はない、という。
(まったくもって納得出来る説明ではない。子供の使いである。)
長い長い年月の後、一部の人が帰還され、
その後の拉致被害者リストによる交渉に入った。もちろん彼の名前もある。
北朝鮮から返されたリストの彼の欄には、「死亡」とあった。
死亡年月日は、社会党は訪朝した直後である。
つまり順当にこう考えられる。
社会党は
「これこれこういう輩がな、東欧経由で日本の家族に手紙を出しよったんや。
これ、家族が”やっぱり北朝鮮にさらわれとった”って
警察行かれたらマズイがな。
で、ワシらも行かんよう先手打っといたけどな。
そしたらこんどは”連れて帰ってくれ”言うて来よって、鬱陶しいんや。
ワシらが手ぶらで帰ったら警察カチこみよるかもしれんから
形だけでも、ちょっと会わせてんか?」
と北朝鮮政府に言った。
そして本人に
「”息子は連れて行かれたんや”っちゅーて、家族が騒いどんにゃ
あんまり騒ぐと家族に良く無い事が起きるかもしれんけども…なぁ。
で、あんさん、なんでここにおるんや?」
「あ、そうか、自分で来たいと思ったんやな、ならしゃーないわな」
「どや、あんさん日本に帰りたいんか?」
「なに、帰りたく無い、あ、そうか、
あんたの気持は家族にワシからよろしゅう言うといたるわ」
監視されている身分で正直に言えるわけが無い。
その時の社会党議員に託せるのに、家族宛の手紙も書かせてもらってない。
そしてリストの日付けによれば、彼はその直後に処罰されたことになる。
投函をしてくれた人も処罰された可能性が高い。
つまり社会党は北にチクった。
そのことが原因での死亡になる。
(注意:但し、彼は本当に亡くなられたのどうかは定かでは無い。)
その責任も取らず、のうのうと生き続けているのが土井、村山である。