24/05/07 07:49:45.42 gvbpq/3k0.net
「少々残酷だとは思ったが」一般メディアがプロレスを相手にしなくなった原点
「力道山vs.木村政彦」戦で食い違った両者の言い分
日本プロレスの第一人者・力道山と、その宿敵の元柔道家・木村政彦。
昭和29年12月22日、東京の蔵前国技館で行われた伝説の試合は、開始後15分足らずで力道山が勝利してしまう。
しかも、試合後に両者が語った“事情”はことごとく食い違っていた。
「八百長」議論にも発展したこの試合は、NHKや一般紙がプロレス報道と距離を置くきっかけになったともいわれている。
日本中が注目したこの試合の後、両者を待ち受けていた運命とは。
今年4月28日、東京地裁で出たある判決が話題になった。
プロレスラーのセッド・ジニアス(本名・渡辺幸正)が、平成15年(2003年)に行なわれた参院議員のプロレスラー大仁田厚との試合の際、
大仁田のセコンドから場外で暴行を受けたとして損害賠償を求めていた訴訟で、裁判官が大仁田議員らに賠償を命じたのである。
判決で裁判官は「プロレスでは、打ち合わせていない攻撃は許されない」と理由を述べた―。
今でこそ、プロレスが「ショー」だとされるのは、不思議でもなんでもない。
だが、“やらせ”や“八百長”を想定した「ショー」なのか、
時に命をも危うくする格闘技の「真剣勝負」なのか、侃諤(かんがく)に議論された時代があった。
URLリンク(news.yahoo.co.jp)