24/03/27 13:33:11.10 FAvfQh/K0.net
“右目を失明しながらヒクソンと対戦した男”中井祐樹はなぜ憧れていたUWFと決別したのか?「真剣勝負にキャメルクラッチはありえない」
「まったく真剣勝負じゃない…」UWFと決別した日
その半年ほど前、大学生協の書籍部に並んでいた月刊の格闘技専門誌でシューティングのプロ化を知ると、中井は色めきたった。
「プロだったら、自分も生きられると勝手に思い込んでしまいました。競技をやれば、給料が出ると思っていたんですよ(笑)」
振り返ってみれば、大学に入学してから中井の格闘技に対する価値観は大きく変化しつつあった。
高校時代、UWFが新日本プロレスから独立する形で再スタートを切ったときには、UWFに熱狂していた。
「よし! これで、やっとプロレスを“真剣勝負”と言えるようになる」当時、生粋のプロレスファンだった中井はプロレスを守る立場にいた。
「プロレスなんてショーじゃないか!」という疑問をぶつけてくる者がいても、論破する自信があった。
「本当は強い人たちがロープに飛ばし合っているだけなんだ。現に異種格闘技戦でも、プロレスラーが勝っているじゃないか」
ところが1990年の夏、そんな中井がUWFと決別する決定的な出来事があった。
同団体は横浜アリーナでの大会を、地方でもクローズドサーキット方式で観戦できるようにした。
札幌の会場に設けられた大画面で、試合のライブ映像を目の当たりにした中井は愕然とした。
「なんだ、これは……? まったく真剣勝負じゃない……」
真剣と思いたい気持ちもあったし、守りたいという思いもあった。
それでも、毎日とことん寝技を追求する者として、キャメルクラッチで決まる真剣勝負はありえない。
講義への出席もそこそこに、大学の道場で週6日稽古し続けることで、中井のバックボーンは完全に七帝柔道になっていた。
「相手の攻撃を“亀の状態”で守っている俺たちは、仮に殴られてもキャメルクラッチは食らわない」
URLリンク(number.bunshun.jp)