【誰が悪く】SWSについて語ろう その34【何が間違っていたのか】at WRES
【誰が悪く】SWSについて語ろう その34【何が間違っていたのか】 - 暇つぶし2ch3:お前名無しだろ
21/02/16 20:06:26.81 NeI1+C/a0.net
SWSスレテンプレ
カブキ 灰色の追憶 悲劇のUN王者
1973年3月8日 ダイナミックシリーズ最終戦佐野大会
カブキは強豪J・バレンタインを破りUN王者となる。
猪木・坂口と巻いた由緒正しいベルトをついにカブキが手にしたのだ。
しかしこの翌日、NETは日プロの放映打切りと新日本への移行を発表。
このカブキの試合がNETの日プロ最後の放映となってしまった。
1973年4月19日 アイアンクローシリーズ横浜大会
カブキは強豪K・クラップを相手にUN王座を防衛。
ただ翌日の群馬大会をもって日プロは崩壊した。
弱冠24歳のカブキにとって、これは心に大きな傷を残すことになった。
カブキがよく自分の分をわきまえれというのは、ここからきているのだ。
さらなる悲劇がカブキを襲う。
カブキは日プロ残党として全日本へ合流するも
馬場「おい高千穂、おまえUNのベルト持ってるよな? それ、ジャンボにやってくれるか?」
カブキ「ああ、いいですよ。どうぞ」
まず鶴田対カブキで鶴田が勝つ。
そして鶴田がブリスコに勝ちUN王者となる。
カブキはUNベルトを分捕られたばかりか、鶴田の踏み台にまでされてしまった。
馬場「キミ程度じゃUN王者は無理、アジアタッグくらいがちょうどいい」
馬場の言いたいことはまさにこれであり、決してそれは間違ってはいない。
この後カブキはアジアタッグ王者となるも、あくまでクツワダの底上げの為であった。
1990年7月、カブキは世界タッグのベルトを放り投げて全日本を退団。
カブキ「かつてUNベルトを取り上げられたからその仕返しをしてやった」
かようにUNベルトを取られた恨みは大きかったのだ。
このようにカブキにとってUN王座戴冠は悪夢そのものであった。
それは40年以上を経た今現在でもカブキを苦しめているのである。


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