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>>678
1984年1月、日本に帰国して全日本プロレスに参戦。4月、UWFに入団。
シューティングスタイルを全面に押し出したUWFでルチャリブレのテクニックを駆使した異色のファイトスタイルで活躍していた。
シューティングスタイルに対応しようと貪欲に練習して年下の高田延彦を「高田さん」と敬語で呼んで指導を仰ぐなどの行動が雑誌に紹介されてUWFの関係者やファンから高評価を受ける。
1985年4月26日、UWF後楽園ホール大会で引退試合が行われた。
「あと10年若かったら(UWFスタイルに対応できるのに)」、「練習についていけなくなったので引退する」などの名ゼリフを残した。
少なくとも前田よりは真面目で努力する模様。