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日本テレビは旗揚げから「プロレスは正力松太郎さん(初代社長)の遺産)」として
旗揚げから全日本プロレスをバックアップしてきたが、昭和56年に全日本が経営危機
に晒されたことがきっかけに、日本テレビが経営に介入し、馬場を強制引退させ
ジャンボ鶴田への世代交代を図ったことで、馬場と日本テレビの間で亀裂が生じ
始めていた。
90年代になると日本テレビも「プロレスは正力松太郎さんの遺産」 と考える人も少なく
なり、広告費を産み出さない「全日本プロレス中継」をお荷物と扱いだして、30分枠に
降格させて打ち切りを視野に入れるも、馬場と日本テレビの間には「馬場が生きている
間は全日本プロレス中継は打ち切らない」と取り決めがされており、馬場が生きている
間は簡単には打ち切ることが出来なかった。
全日本中継は深夜の30分枠でもまずまずの視聴率を稼ぎ、三冠戦など武道館のビック
マッチでは45分枠で放送されることもあった。スタッフもいずれは60分枠を復活させ
たいと考えて、馬場夫妻に他団体との交流やビッグマッチに欠かせない『一本花道』を
馬場に提案したが、馬場は日本テレビの介入と受け止めて「経費がかかる」「他団体
との交流は選手が望んでいない」として拒否したが、全日本の取締役の一人だった百田
義浩、光雄兄弟を通じて三沢は日本テレビ側とも接触して真剣に話を聴いたことで、
百田兄弟を窓口にして日本テレビとの間も次第に親密になっていった。
GスピリッツVol.48 「馬場夫妻と全日本プロレス」)