16/02/21 13:17:10.52 iOAfG+1b.net
1969年にアンドレはパリで日本からやって来た国際プロレスの
ストロング小林&豊登と対戦した。
この模様を見た国際プロレスの吉原功社長はアンドレに目を付けた。
地元のプロモーターは吉原にこう言ったという。
「あいつは二流だぜ。ただのデクの棒。」
しかし吉原はアンドレの素質にほれ込んでいた。
当時の日本プロレス界のエースである東洋の巨人ジャイアント馬場よりも大きく、
まだ若くてしかも運動神経も抜群だったからだ。
1970年2月にアンドレはモンスター・ロシモフというリングネームで国際プロレスに初来日を果たした。
このモンスター・ロシモフというリングネームは国際プロレスの吉原社長と
プロレスライターの菊池孝氏が命名したものだった。