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宮崎で生まれ育ち、農家だった実家を継ぐつもりで農業高校に進学した。ただ、父親がけがをして高校生のときに廃業。進路について再考したとき「人の役に立ちたい」と警察官を志した。そして、事件数も多く、日本の首都を守る警視庁を目指して、昭和59年に入庁した。
生活安全部門での勤務が長く約20年を数える。違法賭博店やヘリコプターの無許可営業の摘発など幅広い犯罪捜査に携わってきたが、特に悪質な風俗店の壊滅に力を入れてきた。長年の経験から、生活安全部門の捜査について「タイミングが命だ」と強調する。
平成30~31年に東京・六本木のバーで、女性従業員が出会い系アプリで一般人を装って知り合った男性客を店に誘導し、ぼったくり行為をしているという被害相談が入った。立件するには、女性が従業員であることを裏付けた上で、接待行為の現場も押さえる必要があった。
捜査の過程で、従業員とターゲットの客が落ち合う場所が決まっていることが判明。張り込みなどの内偵捜査を続けた。寒さが厳しい冬場でも「若い捜査員だけには任せない」と、自らも最前線で捜査に当たった。
そして客から話を聞くなどして、客が女性従業員とゲームに興じる中で酒を次々と飲ませ、不当な料金を請求する、ぼったくりのシステムをつかんだ。
着手では、接待行為にあたるゲームに持ち込むまでの時間を計算して、踏み込むタイミングを図り、ゲームの痕跡を見つけた。動かぬ証拠に、女性従業員は容疑を認めざるを得なかった。「現場を押さえるのは難しいが、それが醍醐味(だいごみ)でもある」と語る。
職場では雰囲気づくりを大切にし、落ち込んでいる後輩がいれば、優しく声掛けをして励ますようにしている。加えて、生活安全部門に興味がある後輩にはその面白みを伝えるなど、将来を担う世代のスカウトも欠かさない。
「組織への恩返しや、困った人には自分の持てるものすべてを出し切って世話をしたい」。そう力を込めた。
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