15/09/09 18:19:07.79 QA1NNq+R.net
>>700さんが示唆しているように、主観同士に客観的な優劣をつけようとするなら「何について」という目的に対する効率や整合性を取り上げるしかないが、
何をもってその達成すべき目的とするかというのも結局は主観によらざるを得ないですよね。
一般的には社会にはコンセンサスというものがあって、例えば>>701さんの言うような戦争は避けるべき、共存すべきといった考え方は相当な規模でコンセンサスを得られていると思うが、
他方で>>702さんの言うようにそれは万人のものではないというのが現実。
どれだけ多くの人が支持しようが、ある価値観が普遍化するというのは非常に難しく、篳竟主観はいずれ主観であり、客観化は至難であるということでしょう。これは帰納的に事実と考えられると思います。
ではコンセンサスとは何か、詰まるところ多くの主体(個人)たちによる合意であり、それはある価値観が多くの主体を説得する力を備えていることの現れである一方、
相容れない他者を従わせたりそれらから身を守る効力たる強制力の源泉でもあるわけです。
で、話をベジタリアンに戻すと、ベジタリアンの主張というのは一般社会から見ればコンセンサスを逸脱しがちだというのが実態だと思う。
一般的なコンセンサスからいうと雑食は許容され、時に推奨され、また文化に深く根差した保護すべきものでもある。
そういった雑食についての自由や雑食によって守られる機能的あるいは文化的な意義などの価値に対して、
ベジタリアンが掲げる価値(例えば動物愛護、健康、信仰、環境保護)などが必ずしも優位ではないというのが多くの主体(個人)たちにとって一般的だということ。
優位でない理由は、現状、人間の価値観において自由権を超える価値というのが想定しにくいことや、
法治国家において違法でない行為、すなわち法的正当性のある行為は国家によって保証されること
またベジタリアンの主張が多くの場合科学的・論理的に見えないこと
などがあると思うが、どうであれこれを端的に表現するなら、
何度も述べてきたように、「規範が実効力を有するには強制力または説得力の少なくともいずれかを備えなければならないが『ベジタリアンの主張にはそれらが備わっていない』」ということに過ぎない。
ベジタリアンの主張する規範が空論でなく実効力を有するには
相容れない者に対する強制力を有する程度のコンセンサスが必要であり、
コンセンサスのためには十分な程度の主体(個人)たちに対する説得力が必要であり、
そうでなければカルトのお題目や霊感商法のゴタク能書きと大差無く、同様に扱われるのもやむを得ない道理であるというだけの話。