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>>426 引用
69 名前:週刊文春 2012年6月21日号 要約 [sage] 投稿日:2012/06/14(木) 15:48:47.00
■ ヒゲ殿下の「遺言」 三笠宮寛仁親王薨去 ③
・6月12日と13日にはお通夜が、14日には一般の本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」が執り行われる。
ご遺体が火葬に付され、文京区の豊島岡墓地のお墓に納められるのだ。
・「葬送は宮葬として行われ、’02年の高円宮憲仁殿下の葬儀とほぼ同じ流れで進みます。
斂葬の儀のうち、葬儀にあたるものを『葬場の儀』と言いますが、宮中のしきたりで、
天皇皇后両陛下は参列されず、勅使と皇后宮使が玉ぐしをささげます」(宮内庁関係者)
・ご遺体は白木の棺に納められているという。
「秩父宮殿下のときは、棺を宮内庁嘱託の木工職人が作ったそうなのですが、高松宮殿下が
お亡くなりになったときには職人がおらず、市販の檜の棺を購入したそうです。火葬場は落合斎場で、
『特賓の窯』というグレードの高い窯で火葬に付されるようです。(略)(皇室ジャーナリスト)
・「三笠宮家のお墓がまだないので、高円宮の斜め前に新しいお墓を作る予定です。
お墓は 上円下方墳、つまり大正天皇や昭和天皇の陵と同じ形状。上の円の直径が2メートルほどの大きさです。
盛り上がった円形の部分には石が葺いてあり、亀の甲羅のようにも見えます。 高松宮のお墓は
比翼塚(ひよくづか)と言って石槨(せっかく)というお骨を納める部分が一つのお墓に二つあり、
夫婦で納骨できるようになっています。」(同前)
・ふだんは一般人が入ることができない豊島岡墓地だが、斂葬の儀当日と17日、18日には拝礼が可能。