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>>426 引用
68 名前:週刊文春 2012年6月21日号 要約 [sage] 投稿日:2012/06/14(木) 15:47:30.20
■ ヒゲ殿下の「遺言」 三笠宮寛仁親王薨去 ②
・「皇族の結婚相手の話題になったとき、滔々と持論を述べられた寛仁さまに対して、同席をしていた
彬子さまが『お父様の言う通りにいたします。ただ、私は好きな人とは結婚できないのですね』と
仰った。 すると、狼狽して『いや、好きな人と結婚するのが一番だ』と応じられました」(知人)
・皇太子様に手紙を出して儀礼的な返事しか返って来なくて落胆したという。
「常々、『皇太子のまわりには家来がいない』と仰っていました。東宮という”役所”に詰めている
役人だけでは、生身の人間同士の付き合いができないという意味です」(同前)
・「寛仁殿下は、皇太子ご夫妻のお人柄に関して批判めいたことは一切口になさいませんでした。
寛仁殿下がジョギングしていたところを雅子妃がお車で通りかかり、下車してご挨拶を受けられた
こともあったそうです。 ただ、ご自身も伯父様の高松宮殿下から多くを学んだというご経験もあり、
同じ赤坂御用地の”ご近所”に住まわれている年長皇族としてアドバイスを差し上げたいという
お気持ちがおありだったのでしょう」 (ノンフィクション作家・工藤美代子)
・ジャーナリストの櫻井よしこ氏が振り返る。「『我々は血のスペアとして存在する』と仰っていましたが、
ユーモアたっぷりに語られる皇室論は、しっかりと2600年の歴史に根ざしたものでした。
21世紀の価値観でしかわが国の”伝統”を考えることができない方々とは根本的に発想が
違います。殿下は明確なご意思を遺されたわけですから、それを忘れないようにしたいのです」
・喪主が信子妃殿下ではなく、彬子さまなのか、職員の間でも話題になっています(宮内庁関係者)
・「彬子さまへの信頼の表れなのだと思います。彬子さまがオックスフォード大で女性皇族として
初の博士号を取られた際には、殿下hあことのほかお喜びになっていました。信子様は
更年期障害やぜんそく(ストレス性)を患われて、長らく別居していらっしゃいましたから」(工藤氏)
・寛仁さまの食道ガンの手術直後の食事は信子さまが1日6食、(小分けにしないと食べられない)
毎日違うメニューで4ヶ月続けた。信子さまは『四季の家庭料理(光文社)』という著書もある。