15/07/12 17:12:59.32 .net
>>426 引用
67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/14(木) 15:46:28.29
週刊文春 2012年6月21日号
■ ヒゲ殿下の「遺言」 三笠宮寛仁親王薨去 ①
「皇太子には家来がいない」「女系天皇は皇室の伝統を破壊」
”モノ言う皇族”への皇室への愛
・自他共に認める皇室のスポークスマン役でありメディアへの登場回数は皇族随一。
新聞や雑誌へのインタビュー、『徹子の部屋』、深夜ラジオ番組にまでご出演され
いつしか”モノ言う皇族”と呼ばれるようになった寛仁さま。
・「36歳のとき、激務のため公務と社会活動の両立ができないので『皇族をやめて社会活動に
専念したい』と”皇籍離脱発言”をして、さすがに昭和天皇も不快感を漏らされたそうです。
一方、『オールナイトニッポン』ではDJとして自身の恋愛観やギターの弾き語りを披露して、
後に『皇族の概念の一部でも理解されたら、やった価値はあった』と感想を述べられました」
(千代田関係者)
・’05年に会長を務める福祉団体「柏朋会」の会報に《皇統が貴重な理由は、神話の時代の
初代・神武天皇から連綿として一度の例外もなく「男系」で今上天皇迄続いて来ているという
厳然たる事実です》と綴った際には、異例の表明が波紋を呼んだ。
・当時は小泉政権下で有識者会議が設置され、女系天皇を認める方向で世論がリードされていた
時期だった。外交評論家の加瀬英明氏によると、寛仁さまは強い危機感を抱き、「どうしても
必要なときは、自分が陛下に直訴する」とまで考えていたという。
・「皇室の伝統を破壊するような女系天皇という結論をひねり出さなくても、皇統を絶やさない方法は
あると思うのです」(文藝春秋06年2月号)という発言も話題を呼んだ。
最近議論されている女性宮家の創設にも大反対しておられました。
『そもそも、皇族に何の相談も ないのがおかしい』とも仰った。終戦時に臣籍降下した旧宮家の
男系子孫を皇籍に戻すか、女性皇族の結婚相手として迎え入れるべきであるとのお考えでした」
(加瀬氏)