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>>317続き
・私のようなまったくの部外者であっても、信子妃が公務に
復帰なさったときは、さすがに驚きを禁じ得なかった。(工藤)
彼女に皇族として公務に出る資格があるものなのかという、
率直な疑問を感じた。(工藤)
・なぜなら、家庭を放棄し、婚家の名誉を傷つけ、家族全員を
苦しめたのは他ならぬ信子妃だからである。(工藤)
それならば、せめて寛仁殿下がお隠れになった後は、静かに
京都の尼寺のご門跡にでもなって、余生を過ごされるのが
よろしいのではないかと思っていた。(工藤)
・彬子女王が信子妃に伝えたい事は2つだけだという。
「公務に復帰されるのであれば、今までお見守りくださった三笠宮
両殿下にご無沙汰のお詫びとご報告をしてほしい。
それから私たち皇族を支えてくださっている国民の皆様に、公務に
復帰される理由をきちんと説明していただきたいです」
・宮内庁からは「宮家の当主の問題は宮家の中でお決めください」と
伝えられた。そこで三笠宮家に相談に伺ったところ、三笠宮両殿下が
「それは当然、彬子ちゃんでしょう」とおっしゃったという。
・「それで、母に『このたび、三笠宮両殿下のご意見により、私が寛仁
親王家の当主になることに決まりましたので、ご報告します』という
手紙を送ったのです。しかし、母は『認めない』という内容の手紙を
送っていらっしゃいました。 『自分抜きで話を進めるなんてありえない』
というのです」(彬子女王)
「三笠宮家4人の意見です。そもそも三笠宮家としての決定に従わ
れるのは当然のことではないでしょうか」と返事をした彬子女王。
つづく