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>>169続き
・10年以上にわたって寛仁殿下は離婚をしたいと望んでいたが
信子妃と麻生家はその切実な願いを拒否し続けたのだ。
殿下はそのために心労が重なり、アルコールの量も増えていった。
アルコール依存症で暴力を振るったというのは、まったく事実無根であり、
信子妃が宮邸を出るほど夫婦関係が悪化したしたから、
殿下は依存症になった。
つまり原因は明らかに信子妃との関係にあったということだ。
*受け取り拒否された手紙
・寛仁殿下が薨去されると、信子妃は25年11月から何事もなかったかのように
公務に復帰している。そこで、百合子殿下が手紙を書かれたという。
「母が公務に復帰し始めた時、三笠宮家になんの挨拶もなかったので、
祖母(三笠宮百合子妃殿下)がお手紙を書かれました。
三笠宮家と寛仁親王家が一緒になるので、よっとお話がしたいのだが、
この日程ではいかがだろうか。公務に復帰するのはその後にして頂きたい
という内容でした。
ところが母は『誰から来たのかもわからないのに受け取るわけには
いきません』 と受け取りを拒否したのです」
仕方がないので、別の機会に宮務官が直接届けに行ったのだが、
それも拒否されたという。
「最終的には手紙をファクスするという形で送りました。ところが
その後、母の主治医から『三笠宮家に行くと殿下から受けたDVの
ことが蘇ってきて、治療に支障をきたすので、おあわせできません』
という主旨の手紙が来たのです」
つづく (ちょっと要約ひとやすみします)