15/07/09 21:29:12.51 .net
>>167続き
・殿下が離婚したいという意志をはっきり示されたことがあったか。
・「はい。それはずっとおっしゃっておられましたし、これまでに
3回くらい、本当に離婚の話が進んでいました」 (彬子女王)
・「それなのに、毎度毎度、頓挫するのは、麻生家側が、太郎が首相に
なろうとしている時なので控えてくれとか、東日本大震災で国民が大変な
時期にゴタゴタさせるわけにはいかないとか、難色を示したから。
そうこうしているうちに寛仁殿下が亡くなられたのです」(殿下の親しい友人)
・殿下は吉田茂とその娘だった麻生和子さんをとても尊敬していた。
「あの母親の娘だから結婚したのだ」とまで言っていた。
・「寛仁殿下の遺言には、信子妃を臣籍降下させるようにと書いてあったそうです。
そこで彬子女王は、麻生太郎さんを呼んで話をされたそうです。
『こういうことが書いてあるので、なんとか母を麻生家で引き取って
もらえないか』 と。
すると、『もう三笠宮家に嫁に出した時点で、血縁はあるかもしれないけれど、
戸籍上は縁もゆかりもない人間だ』 とおっしゃった。
挙句の果てには、『親族代表で、殿下の葬儀に出ているけれど、
本来であれば親族でもなんでもない。宮内庁がどうしてもというから
出たのだ』 などと言われたそうです」
つづく