12/08/12 10:27:18.60 .net
>>23
>坂井が、あと、木内は全く眼中になかった。
というのは、なんか信じ難いな
木内が出てから、判例を説明するのに創造説が必ずしも必要でない(契約説で十分に説明できる)ことが
白日のもとになったし、さらに鈴木理論の問題点や異端性も浮き彫りになり、その後の創造説凋落の鏑矢
となった名著
木内が出て、『判例は、一定の学説に与することを拒否し、
その理論的立場を意図的にあいまいにしている』という読み方が通説となった。
契約説(多数説)でも創造説(無因論)でも判例と大きく矛盾しない妥当な結論を導くことは可能だと。
両者はもっぱら意思表示にもとづく債務の理論構成でのみ対立し、どちらを支持するかは、
判例が何であるかと別に、民商法(私法)における各人のスタンスで決めて差し支えないと。
手形論争は鈴木に始まって佳境を迎え、木内と前田庸の登場のあたりを境にしだいに沈静化に向かい
前田庸は実務用,学習用というよりも、結局は創造説の学術的な総決算となった観がある。
というより、木内を境に創造説がその独自の存在意義を失って行ったと言えるかもしれない
ただいずれにせよ前田庸に続く新たな論客(教科書)が著れない限り、もはや創造説に未来はない。
現在は、それがいいか別として、独自の手形理論というものに対する関心は薄れてしまった。
このことが手形理論の雄でありかつ鈴木説の深い信奉者であった坂井として受け容れ難く
目を背けかったんかも知れんなあ
ちなみに、木内説は東大教授にもかなり気にされていたよ(契約説の中唯一といっていいくらい)