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■吉永さん「知らんぷりしていい問題ではない」
「知らんぷりしていい問題ではない。どうしても基地が必要と言うなら、沖縄の痛みを他の県(本土)も引き受けないといけない。それが嫌だったら、沖縄にもつらい思いをさせてはいけない」―。吉永さんはインタビューで、沖縄への思いを熱く語った。
1968年、映画「あゝひめゆりの塔」に出演して以来、沖縄戦の継承、米軍基地の過重な負担にあえぐ基地の島への思いを深め、自らの言葉で発信してきた。
「ひめゆりの塔」の「泣いてばかりいた」演技への反省と、本土の盾となった沖縄戦で多数の県民が犠牲になったことを学び、「沖縄には遊びには行けない」と思い込んでいた、という。
プライベートの沖縄の旅がようやく実現したのは18年6月。沖縄中が鎮魂に包まれる初夏、南部戦跡や米軍基地、新基地建設海域などを巡り、あらためて沖縄の現実に息をのんだ。
■「驚くほどきれいな辺野古の海が無残な形に。本当に悲しい」
「驚くほどきれいな辺野古の海が無残な形にされていくこと」に胸を痛め、「(埋め立ては)本当に悲しい」と、沖縄の民意を無視して進む新基地工事に強い疑念を示す。
「忘れない、風化させない、なかったことにしないために」原爆詩や福島原発事故被害者の詩の朗読をライフワークとし、反戦平和、反核、反原発を明確に打ち出す発言をためらわない。「自分にできることは表現者として声に出して伝えること」「どう思われようと、自分の思ったことを伝えることが大事だ」
インタビューの中で吉永さんは、「ひめゆりの塔」での演技について「当時、資料を読んだり、勉強したりしたつもりだが、いざ演じると、あまりにも気持ちが入りすぎてしまい、映画の中で泣いてばかりいた。映画を見て、あれではいけなかったのではと、すごく反省した。ひめゆり学徒の方が『当時は涙も出ないぐらい厳しい状況だった』とおっしゃっているのをテレビで見て、私の芝居は違っていたと思い、申し訳ないという感じがした。本当につらい思いをされ、私たち本土の人たちのために多くの方々が犠牲になった事実を知ると、(沖縄には)遊びには行けないという感情がずっとあった」と語った。