19/01/13 10:11:17.08 dL7mf+Kk0.net
前スレでの朝鮮人工作員の言い分
父方の祖母→1918年 横浜生まれで5才の時に女学生で関東大震災に遭遇
大木の根元ではいつくばった
震災の話をよくした
震災の話をあまりしなかった
父方の祖父→台湾の製糖工場長として赴任
1942年に家族と帰国
1928年生まれと言う息子は年齢がおかしく、計算では台湾の義務教育の小学校を1年落第して、日本の私立中学に入学したことになる
息子は戦時中勤労動員されたはずだが、行かずに気仙沼へ疎開したとウソを言う
母方の祖父→蔵のある紡績会社に生まれ、成金の娘を妻にもらったくせに、なぜか家の仕事を継がず教員になる
プチブルなのに共産主義に興味を持ったか、特高に誤認逮捕され連れていかれたそう
終戦間際になぜか唐突に家にいて、空襲の時は屋根に上って火消しをした
焼夷弾は屋根を突き破るので、屋根に上ると穴があって危ないのではと私が言うと、
急に蔵と庭に囲まれた、紡績工場を持つ広い屋敷に住んだと新たな設定を作り、焼夷弾は落ちていなくて、ただ火の粉を払っただけと、話が変わった
それでも屋根よりもまず、外側の塀や庭の木に火の粉が移らないように心配すべきだろうと、私は書いた
又、離れに紡績工場があったと言うが、通常離れはそんなに広くないので工場にはできない
若い20代位の祖父が、いつ特高から釈放されたのかも書いてないし、家にいて、兵役に行かなかったのもおかしい
病気かけがで兵役を免れたなら、屋根には上れないしね
という、矛盾だらけの自称三代江戸っ子さんのお話でした
どうぞ、ご反論をして下さい