18/08/25 08:12:55.29 0yarXQFY0.net
>>219
共産党の軍事方針のもとで、いくつもの騒乱事件が起きた。
1952年(昭和27年)の5月1日、第23回メーデーで、デモ隊と警官隊とが衝突した
いわゆる“血のメーデー事件”がある。
戦後、皇居前広場は“人民広場”と呼ばれ、たびたび集会場として使われてきたが、
その日、政府は使用禁止とした。だが、メーデー参加者たちは広場に突入。
在日朝鮮人はデモ隊の先頭で警官隊に対峙した。この事件では在日朝鮮人から多くの
逮捕者(1232名中130名)が出た。
広場になだれ込んだ2万人のうち、5000人が在日だったといわれる。
その年、大阪で起きた吹田事件(6月25日)、名古屋の大須事件(7月7日)でも、
多数の逮捕者が出た。吹田事件の在日の逮捕者は250名中92名。大須事件では、
269名中150名が在日だった。
日本共産党は、12月中旬になっても全国軍事会議を開催し、武装闘争と
日常戦闘との結合を強調するなど、極左冒険主義は改めそうになかった。