17/11/11 22:33:58.56 O7x8sS0m0.net
長男が証言を続ける。
「父親は、鳥取から上京すると、紳士服地の行商を始め、国内各地を転々として家族と過ごすことはほとんどなかった。
私が小1のころ、行商先を騙したとして警察のご厄介になったこともありました。ですが、40年くらい前からは、無登録の高利貸しが本業になっていた。
私は、短大を卒業すると、仕事を手伝わされるようになり、小切手の振込や架空口座の開設、借り手の応対、それに、父親の運転手もしていました」
月に2~3割の高金利を取り、年間に1億円以上の稼ぎがあったという。
「取り立ては、私を含め数人の社員で行っていました。取りっぱぐれのないように、父親は借り手に対し、池袋に本拠を置く暴力団の会長との親しい関係をチラつかせた。
事実、暴力団の会長は年に1回くらい、うちの会社に顔を出していたし、幹部の1人には格安の金利でおカネを貸していました。
“密接交際者”と指摘されても、否定することのできない関係でした」(同)
「闇金以外で、私が手掛けていた不動産業などの収入や借金で賄ってきましたが、ついに首がまわらなくなった。
なので、14年3月に父のもとから離れ、会社の資産を担保に入れて、借金を返済しようとしました。
すると、父親はそれに反発し、私が会社の株主ではないという訴訟を起こしてきた。
でも、父親に不利になる事実が出てきたからか、しばらくして訴訟を取り下げたのです」(同)