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●舛添要一 「生活保護の姉 北九州市の扶養要請を断わった非情」
週刊文春2007年10月4日号 42-45p
姉の生活保護についての記事の内容
・舛添要一氏が母親の介護を始めるのは平成八年(1996年)から
・4人の姉のうち4番目の姉が生活保護を長年受けていた
・平成四年(1992年)、北九州市の担当職員が「可能な範囲で1万でも2万でもいいから仕送りしてくれ」と頼みに
舛添氏の家を訪ねたが追い返された(元市職員談)。
・当時の舛添氏はタレント学者としてテレビで稼いでおり、億単位で不動産を買い漁っていた。
・北九州市は生活保護率が全国一だったこともあり、当時は生活保護の適正化に一生懸命だった。