24/12/15 13:39:55.47 .net
仮にスラムダンクの年が1996年だとして
安西監督が75才で普通に戦争に行った世代だな
まだバスケットは国内リーグすら無く戦争のため日本代表すら組めなかった時代だな
安西は身長的に考えてガードやっていたと思われるが当時の時代を考えればバスケットでもそんなに高い選手は集まらなかった事を考えればセンターの可能性もある いずれにせよトップクラスの選手であったと思われる
ただバリバリの戦前戦中派であったのは間違い無い
さて谷沢に似たような話が野球にもあって
昭和四十年代の巨人ドラフト1位で入団した湯口敏彦投手は期待されながらわすか数年後まさかの死去する最悪の事態となった
湯口の高校は決して強豪校では無くしかも公立だ
本人自身も田舎のぼんぼんという感じで才能に任せてやっていただけの選手
しかし何と言ってもあの巨人
川上監督も投手コーチの中尾もバリバリの戦前戦中派
湯口に厳しい指導し湯口は精神的に病んでいた
川上も中尾も戦争に行った口で
ドラフト1位指名ながら本気がいまいち見えない湯口に対してかなり厳しい指導をしながらも彼は一向に活躍出来ず精神的に病む一方
キャンプのさなか変わり果てた姿で発見
戦争に行き死と生の狭間で戻ってきた川上と中尾と戦争を知らない世代の湯口では根本的に精神的にあまりにも違いすぎた
せめて湯口がPLのような環境で野球やっていたら全く違っていたであろうが
さて安西も川上中尾と似たような環境で青年時代を過ごした
このくらいはできるだろうという考えはあっただろうし厳しくなるのは至極当然だ
しかし谷沢のようにそれまで弱小の公立で才能だけでやってきた連中はいざ厳しくされると監督が悪いと勝手に責任転嫁しダメになる傾向になる
いずれにせよ戦前戦中世代と戦争を知らない世代では考え方が根本的に異なり監督と選手の間にズレが生じる事態に陥る事はよくある話だ
だからといって谷沢が同情されるのは面白くはない