24/01/08 19:50:32.69 bu+7hRVMk
「学校、先生側」は「いじめ問題」にどう取り組むべきか!!
職員室にあっては、先生同士が協力し、歪(いが)み合っていてはいけない。
クラスにあっては「いじめは絶対に許(ゆる)さない!」という気迫(きはく)で、生徒の前に
立つことが必須(ひっす)だ。
ブッダは弟子たちに法を説く際の姿勢を「獅子吼(ししく)」せよ、
と示した。まさにライオンが吼(ほ)えるがごとく、法(ほう)を説(と)けと言うのだ。
問題が起(お)きてからでは遅(おそ)い。「ダメなことはダメ」!
それをリーダーである先生が常日頃(つねひごろ)から、
毅然(きぜん)とした態度(たいど)で示(しめ)すことが、
子どもたちを守(まも)ることにつながる。
私自身、学校の運営(うんえい)や「空手道場」での指導(しどう)を通じて、20年以上、
先生たち、子どもたち、そして保護者(ほごしゃ)と関(かか)わってきた。
特(とく)に空手道場には、いじめっ子といじめられっ子が共存(きょうぞん)していた。
いじめられっ子はどんなに庇(かば)っても、慰(なぐさ)めても強くはならない。けれども、
どんないじめられっ子も、体力(たいりょく)と技術(ぎじゅつ)が
身につけば、自然(しぜん)と自信(じしん)をつけて強くなる。
学校は受験のための知識(ちしき)やスポーツで勝つことを教える場所である前に、
「人間育成」(にんげんいくせい)の場として、明るく強(したた)かな人間を育てる場所のはずだ。
「いじめる子」「いじめられる子」それを「知らなかった」と
弁明(べんめい)する学校現場が増えているとしたら、
従来(じゅうらい)のままの延長(えんちょう)で良(よ)いはずがない。
本気で「いじめ」を無(な)くすつもりならば、
学校を根底(こんてい)から見直(みなお)す必要(ひつよう)があるのでは
ないだろうか。
仏教の教え