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フワちゃん活動休止の発表文に「違和感」 復帰前提の内容に「今、書くことではない」の指摘 | ENCOUNT
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指摘すると、まず書き出しから間違っている。タイトルは「いつも応援してくださっている皆様、お世話になっている関係者の皆様へ」。
そして、冒頭で「まずはじめに、いつも応援してくださっている皆様、そしてお世話になっている関係者の皆様に大きなご迷惑とご心配をお掛けしていることをお詫びいたします」とお詫びをしている。
宛先は、「いつも応援してくださっている」自分のファンと、「お世話になっている」仕事関係者だけ。
暴言投稿を向けられたやす子氏についても、投稿を見て傷ついたり、不愉快に感じたであろう一般読者やいじめ被害者についても、一言も触れられていないのだ。
もし、フワちゃんが「ひとつ前の謝罪文で謝ったんだから、それでやす子や一般読者への対応はおしまい」と考えているなら、大きな間違いだと思う。
今回の炎上した根底には、人の命を軽視する発信は許されないという社会の「規範」を踏みにじったことへの、社会全体の怒りや拒否反応がある。
そして、活動休止を社会全体に向けてXで発表する以上、書き出しは「今回の投稿で不快な思いをさせてしまった方々への改めてのお詫び」であるべきだった。
自分の周りのファンや仕事関係者にだけ活動休止を伝えたいなら、個別に告知やメールをすればいい。
しかし、そうはせずに敢えて広く発表するのなら、「内輪」だけでなく、全ての人へのメッセージがなくてはならなかった。
さらに発表文には、活動休止は「一つの区切りとして、しばらくの間」と書かれ、最後には「精進します」とある。
これは「活動再開を前提に、一時的に活動休止することで『区切り』、つまり『みそぎ』にします」と宣言しているように受け取られる。
仮にそれがフワちゃんの「本心」だとしても、今、書くことではなかった。
もし、私が助言を求められていたら、確実に「カットすべき」と伝えていた。
発表文には「活動休止期間中は自分のことを見つめ直す時間にできればと思っております」とも書かれている。
この文章は一見するともっともらしく思えるが、よく考えてみると、そこには「自分のこと」しか書かれていない。
今回の事態を受けてフワちゃんのCMを止めたGoogleが「Googleは、他者を尊重しない行為に関しては厳格なポリシーを有しています」と述べ、
フワちゃんの番組降板を決めたニッポン放送が「他者を尊重しない誹謗中傷する行為については決して認めることができないと考えております」とコメントしている通り、この問題の本質は「他者の尊重」を欠いた点にある。
それなのに活動休止の発表に「自分のこと」しか書いていないのでは、「事の本質をまだ分かっていないのではないか」と読者に思わせてしまう。
こうした活動休止発表文の表現の問題は「重箱のすみ」というより、フワちゃんが今回の件を真剣に受け止めているのかという「真ん中」の部分に疑念を抱かせるものではないだろうか。
活動休止に伴って改めて投稿を謝罪し、「今回の問題と真摯に向き合い、SNSの発信などについて考え直す機会にしたい」と宣言して、その後の復帰については何も言わず、世間の受け入れに委ねる。
それが素直な対応だと思うが、なぜそうならなかったのか。