15/02/21 02:17:26.28 NOpoxyTG0.net
日本の女性が、外見的にも幼くて、つまり貧弱で、
とうてい成熟した女性のふくよかさを持っていない、と感じる人は最近多くなった。
誰もが同じような痩せた体つきをしている。
AKB48のような子供っぽい芸のつたなさや仕種を好むようになったという人もいる。
このグループが初めて登場して間もなくの時、私の知人が
ちょうど年末年始でもあったのでおもしろいことを言ったのを、
私は今でも覚えている。
「どのチャンネルを廻しても、幼稚園生のお遊戯みたいなのばかり見せられてうんざりだったわ。
うちの孫のお遊戯褒めるだけで手いっぱいで、とてもテレビの番組まで楽しむ余裕ないのよ」
私はその言葉に笑いこけたのだが、これはなかなか深遠な意味を持っていたのである。
AKB48については、その企画者は利口な人だと言わなければならない。
最近の世の中では、少しもおかしくない「お笑い芸人」の芸さえ売り物になる。
彼らは自分たちで笑い、自分が笑ったから、それはおかしいことなのだ、と思っているらしいが、
何が人生でおかしいことなのかほんとうに理解するには、旺盛な批判精神が要る。
本も読まず、教養を身につけようともしない人が、どうして自分や他人を笑いものにできるだろう。
AKB48の場合はもっと動機が不純だ。
一人の芸では、到底観客の期待に応えられないから、数を揃えて見せれば、
若さという素材だけで金になる、という計算が見え見えである。
現在のAKB48の歌も踊りも、素人に近い。
素人でもいいからAKB48になりたい見たいという人もいるのはわかっているが、
そこにこそ不純な動機もある。
もっとも、踊りに関しては私はマイケル・ジャクソンのファンなので、
あの人と比べると、ダンサーと言える才能を持つ人は世間にほとんどいなくなる。
しかしAKB48のダンスを孫のお遊戯と言い捨てた人は卓見だというほかはない。
つまり現在の社会には、達者でない芸、1人前とは言えない教養、成熟していない精神が、
あらゆる形で平気で存在できるようになったのである。
(曽野綾子著『人間にとって成熟とは何か』 幻冬舎新書)