24/05/06 14:47:34.37 7Go6uIPA.net
紫式部早世説が否定されつつある
(少なくとも30年前くらいの本にはあらかた1014年頃と載ってた。賢子は母のあとを継いで出仕したのだ、とも)
のは
小右記に頻出する『上東門院の女房』が特定の女房を示すと考えられる
上東門院の女房を『越後守為時女』と記載している箇所が1ヵ所だけある
からだが
何故一般名詩である『女房』が、常時何十人も居る彰子女房のうち特定人物を示すと考えられるのかというと
膨大な分量の小右記全体で『女房』という言葉はそこまで多い件数出てくるわけではないのに
(長保以降だと記事単位で124件/4097件)
そのうちかなりの割合で『上東門院の女房』を指すのに使われていて
実資父子がその女房と懇意であることが察せられる書きぶりだから
でも、そんなこと、ただフツーに小右記を本で通して読んでるだけだと絶対気付けないんだよな
今は素人でも簡単に検索できるが