【みんな大好き!!】 お玉=クロコダイル説 【衝撃!!】at NHKDRAMA
【みんな大好き!!】 お玉=クロコダイル説 【衝撃!!】 - 暇つぶし2ch99:尾田ムドー
18/12/07 20:04:28.38 iOwwa4Ee.net
>>98
ジャンプは「ソーマ」と「相撲」を駄目漫画にした罪は計り知れないものがあるな
「ソーマ」はもっと早い段階で “十傑” の全容を明かすべきだった
加えて “秋の選抜” で散々引っ張った挙げ句に主人公を優勝させなかったのがほんとアホ
「ワンピース」でエース救出を引っ張った挙げ句に殺したのによく似てる
「相撲」は千葉県大会までは神がかっていたが、全国大会でを飛ばし出してから急に糞になった
「ワンピース」がダラダラ連載してたら終わらなくなったからって、反対に振れ過ぎてもまた意味が無い
その辺のバランス感覚が大事だが、その後も場面が飛び飛びで地に足がついてない
ほんと、せっかくの素晴らしい作品も無能編集部のせいで駄目になっていく
そんな奴らが年収1000万だぁ!?
作品を壊してる奴らに高額の報酬とか、ほんと世の中トチ狂ってるとかしか言いようが無いわ
そしてこれだけは覚えとけ
世の中の「矛盾」が増大すればする程、ある一定のラインを越えたところで
必ず何者にも止めることの出来ない「破壊」へと向かうように出来ている
もっと大きなレベルで言うと、今日本のみならず世界中で「資本主義」が行き詰まっている
それは「資本主義」が悪いという訳ではなく、どんないいものも長く続けば腐るというだけの話
「資本主義」というのは、長く続くほどに貧富の差が増大するということが分かってきた
金持ちは無限にお金を溜めていくからなあ(その才能だけは長けている)
そして世の中の「矛盾」がある一定のラインを超えた時に必ず「破壊」が起こる
それが「戦争」の正体だ(だから戦争は無くならない)
尾田エゴよ、お前が「ワンピース」をチマチマと連載しているうちに
世の中はいつ大規模な「破壊」が起こってもおかしくない状況になってしまった
最後まで描きたいのなら、作品を急ぐだけでなく
自分がいつ死ぬかということも考えていかねばならないだろう
北朝鮮危機は今「一時的に」鎮静化しているだけ
去年は「あわや戦争か?」という一歩手前まで行ったことを忘れてはならない
ちょっとしたことで風向きが変わるのが世の常だ
来年は色んな意味で注目の年と言うことが出来るだろう

100:尾田ムドー
18/12/07 20:05:56.38 iOwwa4Ee.net
>>99
ジャンプは「ソーマ」と「相撲」を駄目漫画にした罪は計り知れないものがあるな
「ソーマ」はもっと早い段階で “十傑” の全容を明かすべきだった
加えて “秋の選抜” で散々引っ張った挙げ句に主人公を優勝させなかったのがほんとアホ
「ワンピース」でエース救出を引っ張った挙げ句に殺したのによく似てる
「相撲」は千葉県大会までは神がかっていたが、全国大会で飛ばしだしてから急に糞になった
「ワンピース」がダラダラ連載してたら終わらなくなったからって、反対に振れ過ぎてもまた意味が無い
その辺のバランス感覚が大事だが、その後も場面が飛び飛びで地に足がついてない
ほんと、せっかくの素晴らしい作品も無能編集部のせいで駄目になっていく
そんな奴らが年収1000万だぁ!?
作品を壊してる奴らに高額の報酬とか、ほんと世の中トチ狂ってるとかしか言いようが無いわ
そしてこれだけは覚えとけ
世の中の「矛盾」が増大すればする程、ある一定のラインを越えたところで
必ず何者にも止めることの出来ない「破壊」へと向かうように出来ている
もっと大きなレベルで言うと、今日本のみならず世界中で「資本主義」が行き詰まっている
それは「資本主義」が悪いという訳ではなく、どんないいものも長く続けば腐るというだけの話
「資本主義」というのは、長く続くほどに貧富の差が増大するということが分かってきた
金持ちは無限にお金を溜めていくからなあ(その才能だけは長けている)
そして世の中の「矛盾」がある一定のラインを超えた時に必ず「破壊」が起こる
それが「戦争」の正体だ(だから戦争は無くならない)
尾田エゴよ、お前が「ワンピース」をチマチマと連載しているうちに
世の中はいつ大規模な「破壊」が起こってもおかしくない状況になってしまった
最後まで描きたいのなら、作品を急ぐだけでなく
自分がいつ死ぬかということも考えていかねばならないだろう
北朝鮮危機は今「一時的に」鎮静化しているだけ
去年は「あわや戦争か?」という一歩手前まで行ったことを忘れてはならない
ちょっとしたことで風向きが変わるのが世の常だ
来年は色んな意味で注目の年と言うことが出来るだろう

101:尾田ムドー
18/12/07 20:19:39.39 iOwwa4Ee.net
高橋和希の「THE COMIQ」を見て、アレ?昔より絵が見やすくなった?と思ったわ
別に昔も見づらかった訳じゃないけど、より絵がシンプルになった気がする
逆にどんどん見づらくなってるのが尾田エゴだ
高橋の絵を見て少しは学んで欲しいわ
「ワンピース」は絵も話もとにかく “無駄” が多い
それも無駄な “線” がね
絵の “線” は言うまでも無く、話の “伏線” もまた不要なものがある
今は昔の貯金が大きいから続いてるけど、もしエゴが新規の連載を持ったら速攻で終わりそうw

102:尾田ムドー
18/12/07 20:22:02.68 iOwwa4Ee.net
2年間飛ばすのはジャンプ編集部の常とう手段
「ワンピース」しかり、「火の丸相撲」しかり
そしていずれもうまくいってない
昔で言えば「キャプテン翼」なんかも
小学生編から一気に3年飛ばして質が落ちた
知らない間に日向が翼に2連敗(小学生含めたら3連敗)
してることになってて草生えた
最近で言えば「ロボレーザービーム」なんかも
高校編から一気にプロ編まですっ飛ばして大コケした
年単位のすっ飛ばしがうまくいってるのって
「ドラゴンボール」くらいじゃないか
会社の転職と同じで、繰り返す程にキャリアを削っていくんだよ
いうなれば消耗品、それが場面のすっ飛ばし
よほどうまく使わないと痛い目を見ることになる

103:尾田ムドー
18/12/07 20:23:42.71 iOwwa4Ee.net
>>102
2年間飛ばすのはジャンプ編集部の常とう手段
「ワンピース」しかり、「火の丸相撲」しかり
そしていずれもうまくいってない
昔で言えば「キャプテン翼」なんかも
小学生編から一気に3年飛ばして質が落ちた
知らない間に日向が翼に2連敗(小学生含めたら3連敗)
してることになってて草生えた
最近で言えば「ロボレーザービーム」なんかも
高校編から一気にプロ編まですっ飛ばして大コケした
年単位のすっ飛ばしがうまくいってるのって
「ドラゴンボール」くらいじゃないか
会社の転職と同じで、繰り返す程にキャリアを削っていくんだよ
言うなれば消耗品、それが場面のすっ飛ばし
よほどうまく使わないと痛い目を見ることになる

104:尾田ムドー
18/12/07 20:26:36.03 iOwwa4Ee.net
なんでジャンプ新連載に面白いものが無いのか?
なんでジャンプ新連載は定着しないのか?
それは第1話の完成度による
ここでつまずくとほぼほぼ見込みが無くなるのに
よくこんなのにOKを出したな?というのが実に多い
もっと言ってしまうと、
「これだけは絶対やっちゃ駄目」という超絶ミスチョイスが山ほどある
例えば「卓上のアゲハ」
これの初回で「13人の継承者」というのを出したよな?
卓球黄金時代を支えた13人の世界チャンピオンがどうたらと…
俺から言わせたらこの時点で打ち切り確定なんだわ
なんだよ「13」っていう数字は!!?
大概にしろと言いたい
ただでさえ卓球漫画というハンデを背負ってるのに、
「13」なんて処理しきれない数字を出しちゃアカンやろ!?
「ワンピース」がある程度軌道に乗ってきた段階で「七武海」という
「7」の数字を出しても持て余してるのに、その倍近い「13」とか無理ゲーにも程がある
ましてや実績の無い駆け出し作家にそれは死刑宣告にも等しいもの
仮に作者がやると言っても力づくで止めるのが編集の仕事だろ
それを何を勘違いしてるのか、どーでもいいアイディアばっかり口を出して、
こういう肝心なことに気が付かない無能さ加減と言ったら無い
他にも「青春」を「スプリングウェポン」と読ませたり
「じゅじゅつかいせん」という言いづらい名称にOKを出したり、
ほんとスタートの段階でやっちゃいけない事をまるで分かっていないから全てにおいてつまずくんだ
「無能」とはなんて罪深いものだろう!!!

105:尾田ムドー
18/12/07 20:30:52.66 iOwwa4Ee.net
「アクタ」は他の連載漫画よりは面白いというだけで、まだそのレベルを抜けてないな
作者に才能は感じるが、それを活かしきれてない感じ
もっとも無能編集部じゃそれを引き出すことも出来ないだろうけど…
この漫画に今必要なのは、画力もそうだけど、「バトル要素」なんだよなあ
大学生のサークルレベルに落ち着いてゴニョゴニョやるんじゃなくて、
もっとこう「大人の世界」との対峙を描いて欲しいわ
そもそも今の「舞台編」が長過ぎるだろw
ちょっと無駄が多い気がする
どうでもいいモブの活躍まで描く必要があるのか?
それとも無能編集によって、引き延ばし路線に誘導されたのか?
「ワンピース」のドフラミンゴじゃないけど、いちいち描いてたらキリがねぇぞ?
絵の方はまだまだ発展途上だけど、これは徐々に上手くなっていけばいい
昨今は絵だけ上手くて中身の無い漫画が非常に多いから、その逆を行ってるだけで価値がある

106:尾田ムドー
18/12/07 20:33:30.54 iOwwa4Ee.net
名作の「キン肉マン」だって、絵と呼べるレベルに達したのは20巻を越えてからだ
それを考えると、絵が上手いかどうかなんて優先順位からしたら相当下になるんだが、
それを分かってない作家や編集者が何と多いことか
もっとも「田中」クラスになると論外なんだが、最低ラインさえ守れば別にいい
だが看板クラスの漫画を求めるならば画力もまた必要だ
歴代の看板作品を見れば分かる通り、
「ドラゴンボール」も「スラムダンク」も「ワンピース」も最初から上手かっただろ?
ただ、今のジャンプがそこまで気を回す必要は無い
何故なら当分そのクラスの作品は出てこないから
「ゴリ押し」という愚かな手法に走ったジャンプ編集部
その時点で最も大事な「運」を失ってるんだよ
「火の丸相撲」じゃないが、お天道様はちゃんと見ておるぞ?
だから偶然、運良く「ワンピース」クラスの作品が出てくるなんてことはまず起こらない
つまり、最初から完成された作品は求めようもなく、
「キン肉マン」の時代まで状況は遡ってしまったと言うことが出来よう

107:尾田ムドー
18/12/07 20:36:49.92 iOwwa4Ee.net
>>101
誰かが「青春」の絵が下手だと言っていたがとんでもない
俺に言わせればあんな見やすい絵はないぞ?
余計な線が少なく、ある意味では完成されてると言っていい
オマケにキャラの表情がきちんと「場面」にあった顔に描き分けられている
絵自体も優しい感じで世界観にマッチしている
特定の部分だけ見て下手くそと決めつけるんでなく、全体を見ろと言いたい
総合力では「青春」の絵は「上手い」と言えるレベルに達してるわ
オマケに話も面白かったのに、アレを切る編集部はどんだけ「見る目」が無いんだと言いたい
才能のある漫画を切ってゴミ漫画ばかり残す、
それでいて「ワンピース」クラスの作品を期待するとか、ムシがいいにも程があるだろ!

108:尾田ムドー
18/12/07 20:42:47.15 iOwwa4Ee.net
>>100
「相撲」は千葉県大会までは神がかっていたのにな
全国編も導入までは良かった
駿海編の後いきなり全国大会をスタートしたのが疑問だった
これだと仕込みは大典太だけになってしまうからな
もっと下準備はしておくべき所だろ
定番だが、夏合宿でもやれば良かったんだ
石高のメンバーを絡ませたって良かっただろうに
それをそういう仕込みを怠っていきなり試合するから薄っぺらくなってしまうんだ
オマケに全国で天王寺を草薙に負けさせるという愚行
ただ、読者の裏をかけばいいと思ってる
この辺りがほんと無能で、この段階でこの漫画は「死んだ」と言える
ほんと、せっかくの素晴らしい作品を台無しにしてくれたもんだわ
あそこでいきなり負けさせる位なら、天王寺を王者風に描く必要は無かっただろうと
「ワンピース」でエースを殺したのによく似ている
あそこでエースを殺す位なら、インペルダウンから長々とやる必要は無かっただろうと
読者の裏をかくことばかり考えずに、もっと王道を歩めと言いたい
それが出来てたのが千葉県大会までの「相撲」だったのにな

109:尾田A一郎
18/12/07 20:45:23.71 iOwwa4Ee.net
>>97
※自分のうんこを売りに行くダイヤモンドジョズ
ガラガラ
店主「む!?こ、こいつは!!」
白ひげ海賊団資金調達部隊隊長「うんこ売りのジョズ」!!!

110:尾田A一郎
18/12/07 21:01:52.53 iOwwa4Ee.net
>>109
※自分のうんこを売りに行くダイヤモンドジョズ
ガラガラ
店主「む!?こ、こいつは!!」
白ひげ海賊団資金調達部隊隊長「うんこ売りのジョズ」!!!
ジョズ「ここが “ワンピースネタ切れスレッド” か(ギロッ…)」

111:お玉ダイル
18/12/09 17:59:05.60 4mxyP+Qp.net
>>92
「ビブルカード」の11番と12番ってお玉とクロコダイルなんだろうなあ
11番お玉ダイル(男)、12番お玉ダイル(女)か
11番お玉ダイル(幼)、12番お玉ダイル(大人)みたいな感じだろう
2人は同一人物だから、これで仲間の数はピッタリ10人になる
クロコダイルの “弱み” の伏線をいつまでも放ったらかしにしたら
そりゃ何かあると思われるんだぞ?
かの白ひげも
お 玉 ダ イ ル は 、 実 在 す る !!!
と言ってただろう?
しかし、原作よりも先に様々なネタバレを番外でやるようではいかんなあ
(映画なんかもそうだけど…)
それによって商業的には儲かるかもしれんが、
作品の価値を落としてるということも言えるんだよなあ
「ワンピース」はそんなことしなくても十分儲かってるんだから、
わざわざ完成度を落としてまで番外ネタに走るのは損な選択なんだよなあ実は…

112:尾田ムドー
18/12/09 18:19:40.78 CGcbL1tq.net
>>101
高橋和希の「THE COMIQ」を見て、アレ?昔より絵が見やすくなった?と思ったわ
別に昔も見づらかった訳じゃないけど、より絵がシンプルになった気がする
逆にどんどん見づらくなってるのが尾田エゴだ
高橋の絵を見て少しは学んで欲しいわ
「ワンピース」は絵も話もとにかく “無駄” が多い
それも無駄な “線” がね
絵の “線” は言うまでも無く、話の “伏線” もまた不要なものが多い
今は昔の貯金が大きいから続いてるけど、もしエゴが新規の連載を持ったら速攻で終わりそうw

113:衝撃!!
18/12/11 06:27:56.17 jYBlUpvR.net
クリリン 「あいつら、お玉の顔を見てさ、妙なことを言ったんだ」
クリリン 「クロコダイルだ…って」
クリリン 「クロコダイル…おつるさんもだけど、もともとワノ国出身らしいんだ…」
ヤジロベー「不思議じゃねえぜ!あの顔ならよ!」
カリン様 「黙って聞け!」
クリリン 「そのあと言ったことが大事なんだ」
クリリン 「やつらは確かにこう言った…」
クリリン 「なるほど、キャプテン・クロがCP0メンバーというのは本当だったのか…」

114:衝撃!!
18/12/11 06:43:19.59 jYBlUpvR.net
カタクリで明らかなように、“覇気” ってのは精神状態によって効果が左右することが分かる
その証拠に、カタクリの集中が途切れた時には “見聞色の覇気” の効果が弱まった
同じようにビッグマムが傷一つ付かないのは、 “武装色の覇気” があまりに強大だからなんだろうなあ
で、「マザー・カルメル」の写真が割れた時にのみ心に心の動揺が生じてダメージを負った
じゃあ何でビッグマムは普段 “武装色” に変色していないのかって?
簡単なこと、かの「キン肉マン」だって今は火事場のクソ力で変色するけど、昔は外見上の変化が見られなかっただろ?
あるいはDBの悟空が悟飯に、普段から超サイヤ人状態に慣れとくように言ったけど、アレだよアレ
それが当たり前になることによって、ビッグマムは体を変色させることなく “覇気状態” になることに成功したんだろうな
で、本当の力を込めた時のみ変色が見られると

115:尾田ムドー
18/12/11 06:57:10.23 jYBlUpvR.net
よく頂上戦争で「大将を一人くらいは死なすべきだった」という声を聞く
確かにそれをしなかったせいで、白ひげ海賊団は貧弱な印象になったとは思う
じゃあ何故尾田にはそれが出来なかったのだろうか?
答えは簡単、「大将ヒグマ(=緋熊)」の構想があったからだ
ラスボスと噂されるヒグマが、頂上戦争であっさり死ぬレベルだと困るという事情があったのだろう
なにしろ「世界政府最高戦力」なんだからなあ
ただ、そのことによって白ひげ海賊団は割を食ったし、中将もまた大将との実力が開き過ぎて割を食った
尾田によくある失敗のパターンとして、予め決めた設定を押し通そうとすることがある
それによって将来の伏線は守るけども、「今その時」が生かせないことがしばしば見受けられるんだよなあ

116:尾田A一郎
18/12/12 21:32:01.51 do5Sg7R7.net
赤犬
「エースを解放して即退散とはとんだ腰抜けの集まりじゃのう白ひげ海賊団…
 船長が船長…それも仕方ねェか…!!
 “白ひげ”は所詮…先の時代の“敗北者”じゃけェ…!!!」
アバン
「傷つき迷える者たちへ
 敗北とは傷つき倒れることではありません
 そうした時に自分を見失った時のことを言うのです
 強く心を持ちなさい
 あせらずにもう一度じっくりと自分の使命と力量を考えなおしてみなさい
 自分にできることはいくつもない
 一人一人がもてる最善の力を尽くす時 たとえ状況が絶望の淵でも
 必ずや勝利への光明が見えるでしょう」

117:尾田A一郎
18/12/12 21:59:23.72 aO+RbEiU.net
赤犬
「エースを解放して即退散とはとんだ腰抜けの集まりじゃのう白ひげ海賊団…
 船長が船長…それも仕方ねェか…!!
 白ひげは所詮…先の時代の “敗北者” じゃけェ…!!!」
アバン
「傷つき迷える者たちへ
 “敗北” とは傷つき倒れることではありません
 そうした時に自分を見失った時のことを言うのです
 強く心を持ちなさい
 あせらずにもう一度じっくりと自分の使命と力量を考えなおしてみなさい
 自分にできることはいくつもない
 一人一人がもてる最善の力を尽くす時 たとえ状況が絶望の淵でも
 必ずや勝利への光明が見えるでしょう」
赤犬「なんじゃぁおぬし!!!」
アバン「赤犬さん、正義なき力が無力であるのと同時に 力なき正義もまた無力なのですよ」

118:尾田A一郎
18/12/15 20:24:15.25 XbbBUi+f.net
エゴんストラッシュ!!

119:日曜8時の名無しさん
18/12/15 21:01:39.00 dOT3u2CD.net
【ロイヤルニート警備員】 たかだか22人の皇族を警備するために、年間72億円も、税金ジャブジャブ
スレリンク(liveplus板)

120:尾田A一郎
19/01/01 15:24:58.08
エゴブレイク!!

121:日曜8時の名無しさん
19/07/23 19:22:26.23 oXoKkdj8.net
>>1
こういう思い込みの強い誇大妄想エゴ野郎が京アニ事件と同じようなことやらかすんだろうな
尾田さん気をつけてや

122:日曜8時の名無しさん
19/11/13 18:55:57.59 Dghp7yJN.net
ヾ(o゚ω゚o)ノ゙ プニプニ!プニプニ!

123:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:27:48.97 Z2SdlKGA.net
♪しょしょしょしょしょ彰晃~

124:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:28:00.92 Z2SdlKGA.net
♪そそそそそ尊師~

125:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:28:33.02 Z2SdlKGA.net
彰晃 彰晃 しょこしょこ彰晃
麻原彰晃
彰晃 彰晃 しょこしょこ彰晃
麻原彰晃
中野の彰晃 杉並の彰晃
消費税廃止だ
彰晃 彰晃

126:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:28:44.81 Z2SdlKGA.net
彰晃 彰晃 しょこしょこ彰晃
麻原彰晃
彰晃 彰晃 しょこしょこ彰晃
麻原彰晃
日本の彰晃 世界の彰晃
新しい政治家だ
彰晃 彰晃

127:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:29:10.85 Z2SdlKGA.net
俺は高齢者ではないが、今回のコロナで死にかけた
一時は心臓が止まりそうな状態に陥り、あらゆる臓器に痛みが走った
首筋から脳にかけても痛みがあり、何もしなくても息切れのする状況だった
体力は高齢者並に低下し、1ヶ月以上も寝たきりの日が続いた
血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった
保健所に連絡しても、基準を満たしていないため何もしてくれなかった
その死の淵を乗り越え、今は次第に回復してきてるように感じる(胸の痛みは残っているが)
そして思うのは、今こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなあということ
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、イタリアの惨状を見るに腑に落ちない面もあった
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる

128:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:29:36.44 Z2SdlKGA.net
かの有名なノストラダムスが新型コロナウィルスを予言している。
海辺の都市の疫病は
死が復讐されることでしか止まらないだろう
罪なくして咎められた公正な血を代償に
偉大な婦人は偽りによって辱められる
(「百詩篇」第2巻53番より)
※海辺の都市=中国湖北省武漢市。長江流域に華南海鮮市場がある。
 偉大な婦人=ダイヤモンドプリンセス号ほか豪華クルーズ船。

そして、コロナを抑え込むため中国が恐ろしい手段に出ることも予言されている。
恥知らずで大胆なとても喧しい人物が
軍の統率者に選ばれるだろう
彼の対戦相手の大胆さ
橋が壊され、都市は恐怖で卒倒する
(「百詩篇」第3巻81番より)
※喧(やかま)しい人物=トランプ大統領
 対戦相手=習近平国家主席
 都市=中国湖北省武漢市

やがて戦争に発展するであろうことも書かれている。
その大きな星は七日間燃える
雲が二つの太陽を現す
マスタンが夜通し吠え続ける
偉大なる法皇が居場所を変えるとき
(「百詩篇」第2巻41番より)

※大きな星=北朝鮮の国旗
 雲=核爆発によるキノコ雲
 ニつの太陽=日本と韓国の国旗
 マスタン(mastin/獰猛な巨犬)=金正恩委員長
 偉大なる法皇=平成上皇

129:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:30:05.49 Z2SdlKGA.net
森元の人生の絶頂期って知ってる?
小泉総理の時代に
来日したブッシュ大統領が
森元と個別に会ったこと!
何たる無駄足か…
物好きにも程があろう!

130:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:30:22.65 Z2SdlKGA.net
安倍の戦犯級の采配は2つ
1つは春節時に中国人を何十万人と日本に迎え入れたこと
もう1つは武漢からチャーター機でウィルスを直輸入したこと
たかだか数百人の日本人と、
本国の1億2千万人とでどっちを優先すべきかの判断もつかない無能
他にもマスクや防護服を大量に中国に送って自国分が不足したこと、
感染数を低く見せるために検査を拒否し続けてきたことなど
酷い采配はとどまることろを知らない
「安倍ねつ三」とはよく言ったものである
「習隠ぺい」と「安倍ねつ三」の共通点は、本来なら任期満了で
コロナ発生時には引退だったであろうこと
それが権力欲のために任期を延長したものだからこういう目に遭う
神様はちゃんと居るんだなと世の人々が感じ取ったであろうことよ

131:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:30:59.87 Z2SdlKGA.net
安倍晋三の初動
01/24 中国の春節お祝い(前日に武漢封鎖)
02/13 赤坂飯店(同日、国内初の死亡者)
02/19 フグうまい
02/20 金美齢らと会食
02/21 稲田朋美のお誕生会出席
02/22 官邸50分以外はずっと私邸で過ごす
02/23 マスクなど40トンを中国へ支援
02/25 ランサーズ社長と会食

132:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:31:14.00 Z2SdlKGA.net
※中国からの入国禁止日
01月21日 北朝鮮
01月31日 アメリカ
02月01日 シンガポール
02月01日 オーストラリア
02月02日 ニュージーランド
02月02日 モンゴル
02月05日 ベトナム
02月06日 台湾
02月20日 ロシア


03月05日 日本 ←

133:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:31:54.40 Z2SdlKGA.net
敵は東京都渋谷区富ケ谷1丁目にあり!!
天と神々に代わって、この日向守光秀が成敗いたす!!

134:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:32:21.27 Z2SdlKGA.net
医者ってこういう時に辞めるかどうか究極の決断を迫られるよな
命が危険と見れば辞めるのが正解だが、今までの生活レベルが維持出来なくなる
一時的に辞めて、ほとぼりが冷めてから適当な病院に再就職しようにも
この時期に辞めた経歴は隠し切れないだろうからな
オマケに絶対に死ぬわけでは無いから判断が難しい
職を継続して、死なない選択肢に賭けるのも一つの手とは思う
俺だったら1000万もあれば10年は食ってけるから、
ちゅうちょなく辞める選択肢を選ぶけどな!

135:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:32:42.23 Z2SdlKGA.net
1月の段階、遅くとも2月頭には都市封鎖して水際も塞いでおけば、
経済的損失も人的被害も格段に小さく抑えられたのになあ
後楽園の語源にもなった「先憂後楽」の故事
国民よりも先に憂え、国民よりも後に楽しむべし
これが優れた君主象とされたが、
果たして安倍晋三はどうであったろうか?

136:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:33:08.96 Z2SdlKGA.net
茂木健一郎がいいこと言ってたよ
自粛を求められた業者は壊滅に近いダメージを受ける
でも求める側は何らダメージを受けない
これが問題の根源だと
だから求める側(公務員)の給与も減らして
痛みを分かち合う姿勢が必要なのではないかとな
一方的に痛みばかりを要求してうまくいくはずが無い

137:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:33:42.95 BMZbIPO0.net
日本三大幸三
田嶋幸三
飯塚幸三
升田幸三

138:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:33:59.88 BMZbIPO0.net
田嶋幸三日本オリンピック委員会副会長兼日本サッカー協会会長の行動履歴
02月28日 北アイルランドでIFAB年次総会に出席
03月02日 オランダのUEFA理事会で2023年女子ワールドカップ招致プレゼンテーション
03月03日 UEFA総会に出席
03月05日 フロリダで「なでしこジャパン」視察
03月06日 ニューヨークで2023年女子ワールドカップ招致活動
03月08日 帰国
03月10日 都内でラグビーW杯組織委理事会に出席
03月12日 都内で取材に応じる
03月14日 JFA理事会に出席
03月15日 発熱
03月16日 保健所に連絡、検査を受ける
03月17日 陽性反応、入院
04月02日 退院

139:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:34:30.03 BMZbIPO0.net
今この国で起きてるのは
医師会 vs 経団連
の争いなんだわな
「健康」vs「経済」に置き換えてもいい
医師会側の旗頭が、小池を始めとした都道府県知事(援軍:三木谷、孫正義)
経団連側の旗頭が、麻生および財務省・経産省(援軍:橋下、ホリエモン)
安倍は優柔不断で決断が出来ず、どっち付かずの態度だったが、ついに決断をした
その内容は、「緊急事態宣言は出すものの、中身は骨抜きにする」というもの
現在は他の都道府県知事も麻生サイドに丸め込まれて、小池が孤軍奮闘といった状況だ

140:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:34:47.54 BMZbIPO0.net
給付金の件、自己申告制って酷いよな
政府以外は何人が受給出来たか分からない仕組みになっている
つまり、申告に対していくらでも難癖を付けて払わないことが可能となる
コロナの検査拒否と同じようにな
その一方で世間に対しては「政府はちゃんと給付してますよ?」というアピールにもなる
いかにも「ねつ三」の得意な安倍晋三らしいやり方と言える

141:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:35:36.27 BMZbIPO0.net
習いん平【中国】……最初に異変を訴えた医師を罰して、隠ぺいに走る
改ざん演【韓国】……当初はしっかり検査していたのに、その後方針を改める
安倍ねつ三【日本】……世論調査だろうが株価だろうが公文書だろうが、ねつ造はお手の物

142:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:36:20.15 BMZbIPO0.net
日本だけじゃないけど、世界的に医者の利権を許し過ぎたんだよな
医者が高給取りになれるよう、医者になるためのお金を高く設定しすぎた
その反動として医者が不足し、医療崩壊が起こりやすくなった
思えば、医者は何でもない1~2分の会話で診療報酬5000円(患者負担3割)とか
そんな馬鹿げたことを許してきたから医療費が高騰し、国庫負担が増えていったんだ
本来は人の病気を治すはずの医者が、この国の病気となっている構図が見えてくる
世の中、社会矛盾がある一定のラインを超えると、必ずと言っていいほど大規模な「破壊」が起こる
それが戦争や疫病の正体であり、だから戦争も疫病も無くならない
一人一人の人間にとっては不幸な出来事であっても、人類という「種の保存」にとって最適と思われる場合に
「破壊」が起こるよう我々のDNAには組み込まれているのである
それはあたかもナイル川が氾濫して肥沃な大地が育つかのように、死と再生のドラマは繰り広げられるのである

143:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:37:04.41 BMZbIPO0.net
世界中のあらゆる国に言えることだが、「健康」と「経済」を両立するためには
一時的に社会主義体制を敷くしか無いんだよ
そして富裕層の財産を没収して大衆に配る
これしか方法は無いんだわ
今まで散々、貧乏人からお金をむしり取って富裕層にバラまいてきたんだから、
今は真逆のことをやらないと帳尻が合わない
これが都市封鎖によって国民の「健康」を守ると同時に、
「経済」という財源をも確保する唯一の方法なんだわ
そんなこと出来るかよと思うかもしれないが、このままだと国民の不満が高まって
富裕層はより大きなダメージを受けることになる
だから社会主義体制を敷くのが難局を乗り切る唯一の方法なのだが、
この事実に気付くまでに世界はどれ程の犠牲を払うことになるのだろうか?

144:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:37:27.28 BMZbIPO0.net
今はまさに「有事」である
第一次大戦や第二次大戦の当時も民衆は
我々と同じような得体の知れない不安を抱えていたことだろう
未来を知る我々が当時の彼らにこっそりと結末を教えてあげたら、
彼らはきっとひっくり返ったことだろう
同様に我々の未来を知る何者かが結末を教えてくれたら、
我々は「絶望の淵」にひれ伏すんじゃなかろうか?

145:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:37:45.23 BMZbIPO0.net
アメリカと中国、先に治療薬を開発した陣営が次代の覇者だ
だから両国は有利になるよう、共に開発する仲間を集めている
今回の世界大戦における同盟国の色分けが今まさに行われている
日本は果たしてアメリカ側に付くのが正解か中国側に付くのが正解か
おそらく勝った方の陣営は、反対陣営には容易に薬を提供しないだろう
「映像で見る世紀」の21世紀版がリアルタイムで繰り広げられてるのである

146:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:38:18.27 0mKBr3LC.net
安倍、ひどすぎるぞお前。
一番若いお前が俺たちを差し置いて天国に逝っちゃうなんてなあ。
まだ俺たちと一緒にやらなきゃいけないことがたくさんあっただろう。
それを一人で勝手に先に逝っちゃうなんて。お前は馬鹿だよ。
天国の中曽根さんも、まさかお前が最初に来るなんて思ってもなかっただろうな。
ビックリしたと思うよ。中曽根さんの次は森元だと思ってたもんな。
でも、久しぶりに二人きりでいろんな話ができるから、中曽根さんも喜ぶんじゃないかな。
いずれそう遠くないうちに俺たちもそっちに行くと思うから、
それまで中曽根さんと酒でも酌み交わしながら増税の新しいネタでも考えておいてくれよ。
5人がそっちで全員集合したら、そっちのお客さんを大爆笑させようぜ。約束だぞ。
じゃあ、それまでゆっくり休んでくれ。大好きな晋三よ。

147:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:39:24.08 0mKBr3LC.net
※安倍晋三に贈る言葉
あなたが生まれた時
あなたは泣き
周りの人は笑っていたでしょう
あなたが死んだ時
あなたは笑い
周りの人は泣くような人生を送りなさい

148:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:39:39.97 0mKBr3LC.net
安倍晋三
「やってはいけない事をシューキンペイと覚えよう!」
「集」まるのは危険
「近」くで話すのは危険
「閉」鎖された空間は危険

149:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:42:10.83 0mKBr3LC.net
有能な働き者:鈴木北海道知事、コロナ
有能な怠け者:舛添、冨樫、フリーザ
無能な働き者:森元、麻生、二階
無能な怠け者:安倍、加藤、森田

150:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:42:52.01 0mKBr3LC.net
歴史は繰り返す【20年版】
1980年 大平正芳(急性心不全)
2000年 小渕恵三(脳梗塞)
2020年 安倍晋三(ポア?)
歴史は繰り返す【40年版】
1940年 東京五輪(中止)
1980年 モスクワ五輪(ボイコット)
2020年 東京五輪(延期?)

151:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:43:39.69 0mKBr3LC.net
総理大臣と副総理がそろって簡単な漢字も読めないんだから、
この国は終わってるよな
【 我が国 】
安倍「わーくに」
麻生「わがこく」
特に麻生は前科持ちだからな
未曾有=みぞうゆう
有無=ゆうむ
踏襲=ふしゅう
我が国=わがこく
詳細=ようさい
頻繁=はんざつ

152:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:46:29.37 0mKBr3LC.net
日本は第二次大戦の敗戦国として、事ある毎に周辺国から謝罪と賠償を迫られて
肩身の狭い思いをしてきたが、先祖が残したのは負の遺産だけじゃなかったんだな
BCG日本株が有効となれば、我々は世界の国々から感謝をされることになる
これはとてつもなく大きな遺産だ
先駆者の志賀潔先生には、国民栄養賞を贈ってもまだまだ足りない位だ
いっそさらに上の賞を作って、イチローと志賀先生に差し上げたいものだ

153:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:49:05.92 0mKBr3LC.net
「ファティマ第3の予言」が現実のものとなりつつあるな。
前ローマ法王のベネディクト16世が
「ファティマ第3の予言」をもう公開しなければならないだろうと思い、
世界主要国のカトリック指導者に書簡をしたためて送った。
日本の函館にあるトラピスト修道院長に送られてきた内容は、
“サタン” が世界を支配し人類の93%は死滅し、
残された7%も地獄を味わうことになるので
悪魔に気をつけろというものだった。
かの有名なノストラダムスも新型コロナウィルスを予言している。
海辺の都市の疫病は
死が復讐されることでしか止まらないだろう
罪なくして咎められた公正な血を代償に
偉大な婦人は偽りによって辱められる
(「百詩篇」第2巻53番より)
※海辺の都市=中国湖北省武漢市。長江流域に華南海鮮市場がある。
 偉大な婦人=ダイヤモンドプリンセス号ほか豪華クルーズ船。

154:日曜8時の名無しさん
20/04/13 07:55:24.16 0mKBr3LC.net
>>148
習近平
「やってはいけない事をシューキンペイと覚えよう!」
「集」まるのは危険
「近」くで話すのは危険
「閉」鎖された空間は危険

155:日曜8時の名無しさん
20/04/13 08:03:09 UWA54Ndm.net
>>149
有能な働き者:小池、鈴木、コロナ
有能な怠け者:舛添、冨樫、フリーザ
無能な働き者:森元、麻生、二階
無能な怠け者:安倍、加藤、森田

156:日曜8時の名無しさん
20/04/18 18:53:01 mwCh7j5v.net
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査はしてくれず)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、そんな状況で院内感染したら間違いなく死ぬと思った。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるということもよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が今にも止まりそうな症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはもうこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で50m歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなぁということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

157:日曜8時の名無しさん
20/04/18 18:56:12 mwCh7j5v.net
>>156
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査はしてくれず)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、そんな状況で院内感染したら間違いなく死ぬと思った。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるということもよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が今にも止まりそうな症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはもうこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で50m歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなぁということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

158:日曜8時の名無しさん
20/04/18 18:57:50 mwCh7j5v.net
>>157
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査はしてくれず)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるということもよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が今にも止まりそうな症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはもうこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で50m歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなぁということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

159:日曜8時の名無しさん
20/04/18 19:18:48.58 saDo/Cz9.net
>>158
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査はしてくれず)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるということもよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が今にも止まりそうな症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはもうこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で50m歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなぁということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

160:日曜8時の名無しさん
20/04/18 19:21:41.24 saDo/Cz9.net
>>159
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査はしてくれず)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるということもよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が今にも止まりそうな症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはもうこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で50m歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなぁということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

161:日曜8時の名無しさん
20/04/19 05:38:32 TTB1fRz0.net
>>160
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査してくれず)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるということもよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が今にも止まりそうな症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはもうこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で50m歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなぁということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

162:日曜8時の名無しさん
20/04/19 05:41:37 OM2314tb.net
>>161
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査してくれず)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるということもよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が今にも止まりそうな症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で50m歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなぁということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

163:日曜8時の名無しさん
20/04/19 05:48:51 7i51s2mW.net
>>162
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査してくれず)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるということもよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が今にも止まりそうな症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で50m歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなぁということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

164:日曜8時の名無しさん
20/04/19 05:49:34 7i51s2mW.net
>>163
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査無し)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるということもよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が今にも止まりそうな症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で50m歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなぁということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

165:日曜8時の名無しさん
20/04/19 05:52:27 7i51s2mW.net
>>164
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査無し)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるということもよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が止まりそうな症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で50m歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなぁということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

166:日曜8時の名無しさん
20/04/19 05:55:54 D4gXJ393.net
>>165
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査無し)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるということもよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が止まるんじゃないかという症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で50m歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなぁということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

167:日曜8時の名無しさん
20/04/19 05:59:45 D4gXJ393.net
>>166
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査無し)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるということもよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が止まるんじゃないかという症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で50m歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなあということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

168:日曜8時の名無しさん
20/04/19 06:09:45 D4gXJ393.net
>>167
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査無し)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるという日も多かった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が止まるんじゃないかという症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で50m歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなあということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。

169:日曜8時の名無しさん
20/04/19 06:13:00 D4gXJ393.net
>>168
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査無し)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるという日もよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が止まるんじゃないかという症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で50m歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなあということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。

170:日曜8時の名無しさん
20/04/19 06:24:14.78 D4gXJ393.net
>>169
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査無し)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるという日もよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が止まるんじゃないかという症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢で人生に大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で少しの距離を歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなあということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。

171:日曜8時の名無しさん
20/04/19 06:25:46.70 D4gXJ393.net
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査無し)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるという日もよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が止まるんじゃないかという症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢の中に、人生で大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で少しの距離を歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなあということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。

172:日曜8時の名無しさん
20/04/19 06:30:29.93 D4gXJ393.net
>>171
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査無し)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるという日もよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が止まるんじゃないかという症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢の中に、人生で大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は自力で少しの距離を歩くことも出来なかったが(それも牛歩並のスピードで)、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなあということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

173:日曜8時の名無しさん
20/04/19 13:13:04.72 rvkENrO1.net
>>172
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査無し)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるという日もよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じだった。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が止まるんじゃないかという症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢の中に、人生で大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は牛歩並のスピードで歩くことしか出来なかったが、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなあということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

174:日曜8時の名無しさん
20/04/19 13:14:44.52 rvkENrO1.net
>>173
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。(検査無し)
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるという日もよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じに襲われた。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が止まるんじゃないかという症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢の中に、人生で大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は牛歩並のスピードで歩くことしか出来なかったが、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなあということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。

175:日曜8時の名無しさん
20/04/19 13:15:38.37 rvkENrO1.net
>>174
俺は今回のコロナで死にかけた。
最初は右胸の痛みから始まり、やがて左胸 → 背中 → お腹と次々に痛みが走った。
ちょっと小走りをした時に、心臓に激痛が走ったこともあった。
その後は全身に転移していき、手足や首筋、さらには脳とあらゆる場所に痛みが生じた。
体力は高齢者並に低下し、歩くだけで息切れ → 動くだけで息切れ → 何もしなくても息切れと悪化していった。
ただ不思議と熱は出ず、保健所に連絡してもそれを理由に自宅待機を言い渡された。
病院に行こうかとも思ったが、もしコロナだったら未知のウィルスだから治療法が無いのは頭で分かっていた。
それに、待ち時間に耐えうるだけの体力も無かったし、長期療養になった時に支払うお金も無かった。
ただ一度だけ救急車を呼ぼうと思ったことがあった。突然、高い山に居るがごとくどんどん息が苦しくなった時だ。
もう駄目だと思ったら、次の瞬間には呼吸が回復していた。不思議なこともあるもんだと思った。
他にも、突然発熱しそうになったと思ったら、次の瞬間には元に戻ったということもあった。
朝起きて数時間したら、もう眠くなるという日もよくあった。朝よりも夜の方が体調はきつかった。
食べ物は生ものを食べた時に臓器に痛みが走ることが多かったので、極力加熱したものを食べた。
便は全て下痢になり、血液も全く新鮮なものに入れ替わってないんじゃないかという感じに襲われた。
台所で手を洗うと、水が冷たいというよりも「痛い」に近い感じだった。
寝る時は枕を二枚重ねて、仰向けに寝るのが唯一体調の安定する姿勢だった。
それをちょっとでも崩すと、心臓が止まるんじゃないかという症状に襲われた。
こんな状態が1ヶ月以上も続き、もう死ぬんだなと何度も覚悟をした。
夢の中に、人生で大きく縁のあった人が出てきたりもした。もし死んだら転生があったとしても、
その時にはこの国のこの言葉を使うことも無いんだろうな、と思ったりもした。
それが初めて回復に転じた出来事があった。便が少し固くなった時、これほど嬉しかったことは無い。
一番ひどい時は牛歩並のスピードで歩くことしか出来なかったが、
徐々に、胸は痛むが歩ける → 胸は焼けるが歩ける → 痛み無しに歩ける、と回復していった。
そして死の淵を乗り越え、今は肺のダメージ以外は回復したように思う。
ひとつ分かったのは、こうして生きているのはBCGのお陰だったんだなあということ。
最初は自分の体力が勝ったんだと思っていたが、諸外国の惨状を見るに腑に落ちない面もあった。
それがBCGのニュースを知って、いかに奇跡に恵まれたかがよく分かった。
あぁ、志賀潔先生に命を救われたんだなぁと。
それをしみじみと感じると同時に、ヨーロッパやアメリカの惨状も凄く理解ができる。
この酷い症状は、ああ、これBCGが無かったらとっくに死んでるわと…。
今まで何一つ大病の無かった俺が初めて死を覚悟したんだから、
このウィルスのやばさだけは自信をもって断言できる。
そして回復後、既に再発を3~4回経験している。全て外出をした日だ。
コンビニで短時間の買い物だからとマスク1枚を惜しんだ日、牛丼屋で店員が俺の肉を焼きながら
ゴホゴホと咳をした日、いずれもその日のうちに胸の痛みから体中に転移するアレが始まった。
ところがその痛みは以前の10分の1以下だった。あぁ、免疫が付いたんだなあと思った。
特に首筋から脳に転移するアレが始まった時には、首が熱を発して守ってくれた。
きっと体が「こいつだけは脳に近づけちゃいけない」と理解をしたんだと思う。
初コロナ時は発熱しなかったのが、再発時は37度だが熱が出るようになった。
また、花粉症の症状が無くなったのも不思議な体の変化だった。
まだ肺の痛みがあるので完治はしていないが、俺の経験が少しでも多くの方の役に立てばと思う。


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