【2018年大河ドラマ】 西郷どん part5at NHKDRAMA
【2018年大河ドラマ】 西郷どん part5 - 暇つぶし2ch321:日曜8時の名無しさん
17/07/06 23:20:12.48 nhvmLyTT.net
8 大島商社と西郷
天保元年(1830)以来奄美は貧富の両極にわかれ、家人(やんちゅ)に身を
落とす者が人口の三分のーにも達するほどになった。
(詳細は拙著、薩摩藩圧政物語「黒糖地獄」を参照)
その奄美の地獄絵図をまのあたりにした西郷が、廃藩置県に際して「大島商社」の
名のもとに、旧藩そのままの体制で奄美の黒糖の搾取独占をはかったのである。
これは秩禄処分によって生計の道を絶たれる薩摩藩士救済のためであった。
天保元年(1830)にはじまる調所笑左衛門の藩財政たてなおしの二大柱は
「大島三島の黒糖独占」と「密貿易」であったが、それを知るのは上級重臣の一部に
限られ、大島の理解者として現在も島民から慕われている名越左源太さえ、「南島雑話」で
『南島は我藩の恩沢を蒙りて今日を渡るといえども-云々』(東洋文庫本二巻141頁)
と書いているから、西郷は藩士たちに『大島は二百有余年我が藩の恩恵を豪ってきた。
今こそ我が藩のために尽すぺき時、黒糖を独専するのは当然である』と教へ、在鹿の
桂久武らに命じて「大島商社」が私企業であるかに見せかけ、新政府になってからも
旧藩そのままの残虐横暴な搾取をつづけたのである。
欧州帰りの青年丸田南里がこれを見て『自由の世代だ。大島商社を打倒すべきだ』と
島民を指導、遂に明治10年(1877) 55人からなる大陳情団を鹿児島へ送ったが、
全員投獄のうえ西南ノ役に出陣を強要されたのが35人、うち戦死6人、田原坂での
敗戦敗走の山中で逃亡し、鹿児島残留者ともども官軍に投降、帰島を命じられ、
帰還の海上で遭難、生存者僅か24人という惨事をひき起した
(詳細は拙著「黒糖騒動記」参照)。
明治11年「大島商社」廃止後も奄美砂糖を取扱ったのは鹿児島糖商のみであり、
高利に高利で島民を苦しめつづけ、その実情を見た支庁長新納忠三は、大阪から
「阿部商会」を誘致したが、新納支庁長は即刻罷免、警察署・検察庁はともに
阿部商会いじめにかかり、この不当に義憤をもやした石井清吉(註)は『利息は
法定利息のみを払へ』等の『三法方運動』(現在草案執筆中)を展開、裁判で
争ったが長崎高等裁所で悉く島民が勝利し、鹿児島糖商側の「南島興産」は倒産。
それに憤った糖商側は「リキジン(琉球人=奄美人)とカンジン(乞食)の真似はすんな」
など暴言をはき、これがこの侮蔑的俚諺を生むにいたった。
 ※石井清吉 = 三重県伊勢の人。慶応義塾出身後、新法律解説のため全国を
 遊説中、沖縄からたまたま徳之島母間村に駐留していた。


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