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6 西郷と愛加那
従来、西郷と愛加那とは愛し合うていたとか、なかには臆面もなく「西郷と愛加那
は恋愛結婚であった」などと書いた本もあるが、これなどは皮相の見解と言える。
奄美には「幸せをもたらす神が海の彼方から来る」という考え方がある。琉球古神
道(ノロ宗教)のニライ・カナイの神観念である。
この特性は、自分たちの住む世界だけが最上であるとし、自分たちの習慣を固守し、
自分たちだけで団結し、外部を悪の住みかとおそれ、外部から来るものを侵略者と
して拒否しようとする農耕民族のものの考え方と異なるところであり、また未知の
ものへは極端な敵がい心を持ち、それを撃ち滅ぼすことが、自分たちの利益である
とする狩猟民族的感覚とも相違するところである。
つまり、ニライ・カナイの神観念が、海洋民族の特性なのである。
ニライ・カナイの神をおそれうやまい、感謝のおもいで迎え、それにかしずく奄美
の人たちは、それと同じような感覚で、海の彼方のヤマト(薩摩)から来る人たちを
来迎神のようなおもいで迎え入れた。
仮屋役人のアンゴになることでさまざまな恩典があることや、流罪武士の島妻にな
れば衆達層への道がひらけることは既に述べたが、そのような現実的ではっきりした
ものがなくても、来迎神というおもいで外来者を迎え入れるのは、奄美の人たち固有
のものである。
そういうおもいから、愛加那が西郷との結婚を(最初は自分からすすんでではなくても)
よろこび、献身的な愛を西郷に捧げかしづいた心情はうなずける。
この愛加那の愛情に対して、西郷はどうこたえただろうか。「竜郷潜居中の西郷南洲」には
『西郷と愛加那の結婚生活は何の制約もない、あけっぴろげなもので、西郷は客
人が居ても愛加那を膝の上に乗せ、愛撫を惜しまなかったので、居合わす者が赤面す
るほどであった』と記している。
「これこそ、西郷が愛加那を愛していた証拠である」と力説する人が居るが、果して
そうだろうか。
西郷は薩摩本国を遠く離れていたとはいえ、武士である。しかも、質実剛健をほこ
りとする薩摩武士である。その薩摩武士が、客人の前で自分の「妻」を膝に乗せて愛
撫したりするだろうか。
維新の志士たちはよく京都の祇園で遊んだ。その祇園でも薩摩の武士たちは、他藩
の連中が芸妓にたわむれるのを見て眉をしかめたという。芸妓にすらそうである。
ましてや自分の「妻」である。その妻を客人の前で膝に乗せて愛撫する-これを夫の
妻への愛情の表現と解釈できるだろうか。
西郷が愛加那を自分と対等の人間(武士階層でなくても)と考えていたら、決して
人前で膝に乗せて愛撫するような愛情の表現はしない。現代人の感覚ですら、このよ
うな愛撫の仕方はペットへの愛撫表現である。
西郷は愛加那をただの愛玩物-はるか下層の毛頭の娘という感情を持っていたから
こそ、このような行動がとれたにちがいない。
また客人というのも仮屋役人や流罪武士などという同じ薩摩人ではあるまい。ここ
でいう客人は島の人たち、そのなかでも彼と相撲をとったり、彼の魚とりの案内をし
たりする青年たちだったにちがいない。このような青年たちも同じ毛頭人である。
毛頭人の前で同じ毛頭の娘を愛撫してみせる-これは、質実剛健をほこる薩摩武士の
体面にかかわることではないのである。