【2018年大河ドラマ】 西郷どん part4at NHKDRAMA
【2018年大河ドラマ】 西郷どん part4 - 暇つぶし2ch467:日曜8時の名無しさん
17/04/04 07:14:23.66 bkNb9+WP.net
「一体、仏教や儒教の渡来する以前の日本に誇るに足る精神や道徳と言えるほどのものがあったかどうか」(海音寺)という唯我独尊風な国学を排し、
また時折、日本史でいわれる源平交代史観が根拠のないものであるかなどを指摘する歴史、歴史観の見直しだけではありません。
歴史への深い思い、探究心に裏打ちされた日本人の本質論にも教わることが多いと思います。
─同じ東アジアでも中国や朝鮮人は思想が習俗化し、人間および人間社会の骨髄にまで思想が入りこんでしまうという民族ですが、日本人はケロリと変わってしまう民族だということです。
大きな政治的社会的なあたえられると、きのうまでの権威を平気で捨てて今日からの権威に乗り換える。
この凄味は、よろこんでいいのか、悲しんでいいのか、それはいずれであるにせよ日本人のエネルギーになっていることは確かです。─(司馬遼太郎「日本人の意識の底」より)
「勾配がはやすぎる」(海音寺)という日本人は、少しは変わったのでしょうか。この対談が行われてから40年余になりますが、この本で語られたことは少しも古びていません。
歴史を〝師〟としてきた二人だから見通せることなのだと思います。
海音寺さんは歴史についてあるところでこのようなことを書いていました。
─昔、歴史は文学であった。そしてあらゆる学問の母であった。経済学も、社会学も、政治学も、倫理学も、─哲学すら、歴史の中にあった。歴史はこれらのさまざまなものをふくんで洋洋と流れる大河であった。
社会の発展と学問の進歩によって、分化が行われたのは必然の結果であり、いたし方のないことではあるが、ぼくには古代の素朴な歴史書がなつかしい。
(略)学問としての史学は別として、歴史が一般の人に結縁(けちえん)し、人生の知恵になるのは、こういう史書によるとも、ぼくは思っている。ぼくが好んで史書を書き、史伝を書く理由の一つはここにある。─(『武将列伝』あとがき)
この史伝の代表としてあげられているのが司馬遷の『史記」です。ここにも二人の共通点がありました。たしか司馬遼太郎さんのペンネームの由来は司馬遷に遼(はる)か及ばずから来ていたとどこかで読んだ気がします。
この史伝、かつては数多くの作品が生まれた大きなジャンルでした。少し考えれば森鴎外をはじめ山路愛山、徳富蘇峰、福岡日南、幸田露伴らが優れた作品を残していることに気づかされます。
─史伝では、人物の四捨五入はしない。史伝の世界は現実世界の引きうつしである。現実世界に生きて行ける人間が描かれなければならない。人間は四捨五入の出来る部分で特色があらわれ、出来ない部分で生きているのである。─(『武将列伝』あとがき)
時代小説、歴史小説という作品とも違う史伝は日本文学の大きな幹でした(過去形ではないかもしれませんが)。それを懐かしむことではなく優れた史伝が書き続けられほしいということも思わせた、実りの多い対談だと思います。


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