16/02/02 22:06:17.08 rQDC/Vyj.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)山手殿
(1)清華家菊亭晴季の娘・・・真田が江戸幕府に提出した家譜によるが、家譜は先祖を持ち上げ美化する捏造が行われるのが基本
当時の真田昌幸の身分は武田信玄の下級家臣に過ぎず、上級公家である菊亭家の娘を妻に迎えるとはまず考えられない。
なお、主君である武田信玄の正室の実家・三条家と菊亭家は同格であり、この点からもあり得ない。
このため、菊亭家の娘としたのは後世の格付けを意識したものとされている。
また、年齢的にも合わない(>>10)。
(2)宇多頼忠の娘 ・・・ 『尾張藩石河系図』にも、寒松院(山手殿)が宇多頼忠の娘と明記
(3)武田信玄の家臣・遠山右馬助(足軽30人持ちの足軽大将)の娘・・・『沼田記』
武藤喜兵衛時代の45人持ちの足軽大将だった昌幸には最も相応しい相手である。
昌幸の正室の出自としては最も説明が付く人物であると柴辻俊六は主張している。
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昌幸の嫁は菊亭でも宇多でもなく、遠山臭い。
まだ武藤喜兵衛ですらない、家来250人(8333石)の兄・真田信綱から米をもらうだけの立場でとった嫁が
清華家や宇多であるわけがない。