22/03/01 18:16:23.87 GLbTpa1g.net
北京オリンピックでの羽生結弦選手の生き様
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北京オリンピック男子フィギュアスケート、フリーで羽生結弦選手が史上初めて4回転アクセルを跳び、公式認定されました。転倒したものの、競技後の彼の誇り高く清々しい姿に、世界中から感動の波が押し寄せました。
オリンピック2連覇の後、次のオリンピックで4回転アクセルを跳ぶと公言し、遂にそれを成し遂げたことは過去の金メダルの取得と比べ何ら遜色はありません。実をいうと、個人的には、仮に4回転アクセルをせず、3連覇したより遙かに重要な出来事であったと思っています。
話は変わりますが、私は以前から、「自分にとっては無駄だと思うことを積極的にすべきである」と言い続けています。物的事象について合理的に考えることは論を俟ちませんが、人に対する心の有り様は全く異なるものと考えています。
人間関係において、合理的な思考で相手と向き合うことは決して望ましいことではなく、主観的には非合理と思うことをする方が、相手にとっては嬉しいこと、助かることが数多くあります。それは、「思いやり」という言葉で表すことが出来ます。日々、それを実践できるかというと大変難しい課題なわけですが、「無駄なことをする」という具体的な指針を持つことで、自身が慣らされている合理的思考を遠ざけることが出来ます。そこで、私は敢えて無駄をしようと思うことにしています。また、無駄なことをすると、不思議に心も解放されることも多いようです。
さて、羽生選手の4回転アクセルは、私が思うには大変非合理な挑戦であったと思います。彼の技術・能力をもってすれば、4回転アクセル無しでもオリンピックでメダルを取ることは確実であり、リスクのある転倒も避けられたことでしょう。そもそも、4回転アクセルに挑み続けた練習においても、おそらく桁違いの転倒を続けてきたことでしょう。自らの体を痛めつけ、失敗の虚しさを積み重ねて、4回転アクセルの体得に向った日々は合理性とは対極にあったと推察します。