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羽生のジャンプの痕跡は誰よりも大きく深い
支配人の在家正樹
支配人の在家正樹
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その日、在家はリンクの事務所に1人で詰めていた。下からの衝撃が長く続いたあと、事務所内のあらゆるものが崩れた。出入口付近に一部、通ることができる空間を見つけ、在家はリンクにいた人々を外へと導く。幸い平日の午後、まだクラブ練習がスタートする前。人数は10人にも満たない程度で多くはなかったが、その中に当時高校1年生で試験後の休みを利用して練習に励む羽生もいた。羽生はスケート靴を履いたまま這いつくばるように外へ飛び出し、なんとか難を逃れる。
アイスリンク仙台は震災から7年前の'04年に当時の運営会社の方針で一度閉鎖に追い込まれている。しかし'06年、このリンクで練習した荒川静香がトリノ五輪で金メダルを獲得したのを機に署名運動などが起き、リンク運営や設営などを手がける加藤商会によって'07年に復活。同じ年、元アイスホッケー選手の在家は転職でこのリンクにやってきた。副支配人は、羽生にこんな印象を抱いていた。
「中学の職場体験をウチで行っていた時は、ものを片付けきれいにして、挨拶をきちんとする。滑った後もリンクに向かって一礼をするなど、礼儀正しい印象でした」
彼が滑ったリンクを整備していて、在家はあることに気づいた。
「ジャンプのときにトウを突くと氷がえぐれるじゃないですか。羽生君は誰よりも大きく、深くえぐれているんです」
氷に刻まれたジャンプの痕跡。その大きさ、深さは他の選手の倍ほどあったという。