17/10/09 16:46:12.02 chDlEChw.net
Erika Sono
この宇野選手の演技に対して、「音楽をよく表現しています」という八木沼さんの解説は、それはないでしょう?
ジャッジがどんな点数を与えているのか知りませんが、ロンバルディア杯の得点が水増しだとしても、今回のジャパンオープンよりは、遥かにマシ。
今回は、前日の公式練習時からジャンプが不調だったとのことで、その中でなんとか最後まで滑り切る、「やってやるぞ」ということしか伝わってこない演技。
結果として、演技前半、国破れて傷心のカラフの寂寥感も、それが演技後半のアリア《誰も寝てはならぬ》で、まだ見ぬ憧れの女性への愛に変わっていくところも、何一つ、表現できていない。
ロンバルディア杯の時には、もう少し、カラフの心理ドラマに徹すればよくなるかな? と思ったのですが、今回は二歩も三歩も後退ですね。
その意味では、得点は正直に出ているということ。
仮にジャンプミスを修正しても、こんな表現のままで、宇野選手がオリンピックでメダルが獲得できるほど、今の男子シングルのレヴェルは低くはないし、すべての選手が本番でそんなに不調であることは、まず考えられません。
今回のジャパンオープンでも、同じくジャンプミスが出てリカバリーしたチェン選手は、《春の祭典》の個所でメリハリに欠けたとはいうものの、全体にもっと伸びやかな演技だったもの。
宇野選手には、やはり、表現は根本から考え直してほしいし、解説者も、音楽の何を表現していれば「音楽を表現した」というのか、少しは考えて戴きたい。
何度も繰り返していることですが、ラジオ体操的に単にリズムに合わせることは、我々は、「音楽を表現している」とは言いません。
その音楽が表現しようとしている感情が、悲しく寂しいのか、憧れに満ちているのか、楽しいのか。
そんなことは、小学校の音楽の時間でも習うはずのことですよね? 一体、小中高の12年間の音楽教育で、何を習ってきたのかと思う日本人が多すぎます。