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続き)
さらに自分の気持ちを鼓舞しようと、いろいろなポジティブ思考を試した。
「スケートでうれしかったことを思い出すようにしました。ジュニアGPファイナルに出たこと。その時、真央さんにスケートを始めたきっかけだと話したら『うれしいです』と言われて、私もうれしかったこと。
スケートを始めてから自分の演技が少しは成長していること。いろいろと思い出しました」
体に合う薬が見つかり、痛みと付き合いながらも練習を本格的に再開できたのは16年4月だった。
「氷で滑れない間は、氷に乗った時に痛みが出る関節を曲げられるような(関節周りの)筋肉トレーニングをして体作りをしておきました」
夢中で練習し、4カ月の遅れをどんどん取り戻していく三原。十分に実力があると判断した中野園子コーチと日本スケート連盟は、シニアに上がりGPシリーズに出場することを勧めた。
「思い切って決断しました。病気もあってスケートを頑張れるかどうかと思っていたのが、むしろGPに出られるなんて信じられなくて。チャンスをいただいたので感謝して滑りたいです。休み明けだからということは一切関係なく、昨年の自分を超えるスケーターになりたいです」
シニアデビューに向けて、フリーは新曲『シンデレラ』を振り付けてもらった。振付師の佐藤有香からは「シンデレラという主人公になりきって」と言われ、自らがシンデレラになろうと、胸に刻んだ。
■追い込まれた境地で力を発揮
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四大陸選手権ではショート4位から逆転優勝。追い込まれた状況から強さを発揮できるのも持ち味と言える【坂本清】
迎えた16?17シーズン。ため込んだマグマが爆発する。GP初戦のスケートアメリカでは、浅田と同じ試合に出場する、夢のような展開となった。会場で一緒に撮ってもらった写真を携帯の待ち受け画面にし、お守りに。怖い物なしで臨んだことが演技に躍動感を与え、ショート2位、フリー3位での銅メダルとなった。
「点数(合計189.28点)は信じられませんでした。でもこの舞台で滑ることができてうれしくて、自然に笑顔になれました。フリーはシンデレラになりきって滑ることが今日の目標で、それはできたと思います」
12月末の全日本選手権では、フリーでパーフェクトの演技を披露。会場からスタンディングオベーションの喝采を受け、銅メダルをつかんだ。
「去年は入院してテレビで見た全日本選手権。まさか表彰台に乗れるとは思わなかった」と顔をほころばせた。
さらに平昌五輪の会場で行われた2月の四大陸選手権では、ショート4位からフリー首位での逆転優勝。3月にヘルシンキで行われた世界選手権は、ショート15位から、フリー4位での総合5位。
4月の国別対抗戦のフリーでも、日本の歴代最高記録となる146.17点をマークした。常に、追い込まれた境地で力を発揮した。
「評価していただいているのは本当にうれしいです。