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三原舞依、スケートへの情熱を胸に「夢」から「目標」に変わった五輪
野口美恵 2017年8月10日(木) 11:40
■フリーの日本歴代最高得点をマーク
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ジュニア時代の最後は病気で欠場しながら、シニア1年目で急成長を遂げた三原。その飛躍はシンデレラ・ストーリーという言葉は最もふさわしい【写真:アフロスポーツ】
シンデレラストーリー。使い古された言葉だが、彼女の飛躍を語るにはこの一言に限る。ジュニア時代の最後は病気で欠場しながらも、シニアに上がった昨季は、国別対抗戦のフリーで日本歴代最高点となる146.17点をマーク。急成長の背景には何があったのか。
人生最初のターニングポイントは、2005年12月だった。当時6歳だった三原は、テレビでグランプリ(GP)ファイナルを見た。画面のなかで、15歳の浅田真央が天真爛漫(らんまん)な笑顔で演技し、トリプルアクセルを軽々と跳ぶ。
競技のことは分からなかったが、笑顔が目に焼き付いた。
「とにかく楽しそうに滑っているなと思い、演技に魅了されたんです。それで私もやってみたいと感じました」
親に頼んですぐに練習をスタート。着実に実力を伸ばすと、13歳のときに全日本ノービスAで3位、14歳で全日本ジュニア選手権2位と、成績を出した。16歳で迎えた15?16シーズンには、バルセロナで行われたジュニアGPファイナルに進出。
シニアと同時開催の大会だったため、浅田と同じ会場で滑るという、これ以上ない喜びを味わった。
■難病からの復帰、GPシリーズ出場へ
しかし幸せのあとに、苦しみが待っていた。帰国後、全身の関節が痛み、難病の若年性特発性関節炎と診断される。自分で歩くこともできなくなり入院。未知の病と格闘するなか、15年12月の全日本選手権は行われた。
「皆さんが素晴らしい演技をしているときに、私は車いすの生活で入院している。病室のテレビで見ながら、悔しいというよりは、皆さんすごいなという気持ちで