頼朝・義経の「スゴい兄」 500騎をわずか17騎で蹴散らした猛者・悪源太(義平)とは? [きつねうどん★]at LIVEPLUS
頼朝・義経の「スゴい兄」 500騎をわずか17騎で蹴散らした猛者・悪源太(義平)とは? [きつねうどん★] - 暇つぶし2ch1:@きつねうどん ★
25/01/29 12:07:07.60 rU6r4ai2.net
源氏一門の中でも、とびっきりの猛者としてその名が語られたのが、源義平(みなもとのよしひら)である。平治の乱に敗れて首をはねられるも、亡霊となって恨みを晴らしたとか。いったい、どのような人物だったのだろうか? 

■叔父を討ち取った猛々しい武士・悪源太(義平)
 源頼朝の兄の一人に、「悪源太」(あくげんた)と呼ばれた猛者がいたことをご存じだろうか? 父は河内源氏6代目棟梁の源義朝(よしとも)、母は橋本の遊女(三浦義明の娘とも)で、頼朝や義経の異母兄にあたる、源義平(よしひら)という人物である。

 ただし、「悪」と名付けられているのもの、特段、悪人だったわけではない。当時、「勇ましい」の意を込めて、そう呼ばれただけであった。15歳の頃、父・義朝が弟の義賢(よしかた)と仲違いして戦った(大蔵合戦)際、義平が果敢にも叔父である義賢を討ち取ったところから、そう呼ばれたのである。

 それでも、その猛々しさは格別で、並居る源氏の猛者たちの中でも、特筆すべき存在として語られることが多いようだ。

■500騎をわずか17騎で蹴散らした
 その一例が、平治の乱(1159年)における平重盛との戦いぶりだろう。重盛率いる500騎を、義平率いるわずか17騎で追い回して蹴散らしたというのだから恐れ入る。

 義平が騎兵ともども、500騎もの多勢のど真ん中に飛び込んで暴れまわったというのだ。主従3騎となって逃げ惑う重盛。これをあと一歩というところまで追い詰めながらも、残念ながら逃してしまったとか。

 そんな義平らの活躍ぶりにもかかわらず、結局、義朝率いる源氏方は敗北。父・義朝は尾張へと逃げ延びたものの、臣下に裏切られて惨殺。頼朝も捕まえられて流罪となったことは、よく知られるところである。この時、長男の義平は飛騨国にまで逃げのびたものの、父の死を知って京に舞い戻ってきた。

■首を刎ねられる際にわめいた「雷電となってお前を殺す」が現実に
 父の無念を晴らさんと、六波羅周辺をうろついて、清盛暗殺の機会を伺っていたのである。それでも警備が厳しく、手出しできないまま逢坂山に潜んでいたところを敵兵300騎に襲われてしまう。この時はかろうじて逃げ延びることができたが、石山寺に潜伏していたところでついに捕縛。六波羅へと連行されて首をはねられてしまったのである。

 六条河原で処刑される際、首を斬ろうとする難波三郎経房(難波次郎とも)に語った言葉が印象的であった。「来世では閻魔となるか雷電となって、清盛ばかりかお前も蹴り殺してやる!」とほざいたとか。

 しかしこの言葉、実はその8年後に本当のことになってしまった。三郎が摂津国の布引の滝の見物に来ていた際、空がにわかに曇り、辰巳の方角から魂のようなものが飛んで来たと思いきや、突如、三郎の頭上に雷が落ちて、焼け死んでしまったからである。

 これが本当に悪源太の亡霊の仕業かどうかは定かではないが、偶然にしては、あまりにもできすぎている。その後、家臣の小代氏が、義平の屋敷跡に御霊神社(埼玉県東松山市正代)建てて、彼の霊を祀ったとか。

URLリンク(www.rekishijin.com)
役者絵「悪源太義平の霊」(歌川国貞/東京都立図書館所蔵)


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