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兵庫県知事選挙の知らせを聞いた。パワハラを指摘され、部下から内部告発を受けた際に過酷な対応を行い、関係者が亡くなり、議会から不信任決議を受けた斎藤元彦氏が、選挙で再び兵庫県知事として選ばれた。
予想を超えて時代が早く動いている。模倣の欲望が、速度と強度を増しながら衝突し、高まっていく。死者も出る。その果てに何があるのか。やはり一抹の恐怖を感じる。
つい先日、アメリカでトランプ大統領が勝利したことについての記事を書いた(「なぜトランプが勝利し、リベラルは負け続けるのか…多くの人が見過ごしている「問題点」」)
これを書いた時には、まだどこかで気持ちに余裕があった。日本に最も大きな影響を強烈に与える米国で起きたことではあるが、やはり外国のことである。しかしすぐに日本で同じようなことが起きたと見てよい。
今回の兵庫の選挙も、「リベラル」寄りの既存の政治・マスコミ勢力に対する異議申し立てであったという面が大きい。もっとも有力な対抗馬であった稲村和美氏の選挙活動を見ると、ご本人の問題というよりも、応援した選挙陣営への反発が足を引っ張ったのではないかという印象を持つ。応援するはずの相生市長が強圧的な態度を示した動画は強烈だったし、「しばき隊」の応援も残念な効果を発揮していただろう。
インターネット、SNSの影響の大きさを指摘する声が大きい。
既存の大手メディアや政治勢力が、特に左寄りの政治勢力がそれに対応できていない。
福島県で暮らす私にとって特に身近に感じていたのが、原発事故に関する放射線の低線量被ばくの影響を、どのような抗議を行っても過大に喧伝する大手メディアと左派の政治勢力のことだった。「このようなことが続けば、日本のリベラル勢力への信頼は地に堕ちるのではないか」と感じていたが、本当にそうなったと思う。女川原発が再稼働することになったが、このことは「処理水」の時に比べて、あまり話題にならなかった。
ネット時代の特徴は、特定の知識・経験を占有していると思われていた専門的な職業・技術集団の優位性が弱くなることだ。
言い換えるならば、みんなが似てくることで、準専門家的な発言をするのが容易になる。
私自身がその状況を利用していることを認めないわけにはいかない。
一方で、精神医学・医療の専門家としては、そのことの脅威も感じている。中途半端な言説の影響力が大きくなり、実臨床がやりにくくなったと感じる場面はある
ひょっとしたら、社会のさまざまな専門職に従事する人が同様に感じているのかもしれない。
みんなが似てくる状況で、人にはどんな欲望が働くか。
模倣の欲望である。
私が参照しているのは、ジラールやラカンといったフランス生まれの思想家たちの仕事である。
似ている者たちが集まった時に、もっとも欲望を喚起するのは何か。
小さな差異である。
今回つくづくと感じたのは、現在の社会で、似た者同士になった社会の構成員の中に違いを作り出し、もっとも強い欲望を刺激するのは、「既存の勢力に立ち向かい、その結果迫害を受ける立場と認められ、大衆からの支持を得るポジション」だということだ。
そして権威を得て、人を断罪する気持ち良さ。
兵庫県知事選に関しては、最初に内部告発者とそれを支持する人々がそのポジションを手に入れたように見えた。しかし、斎藤氏とそれを応援する人々が、全力で、あらゆる手段を駆使して、それを逆転させた。
抑えておかねばならないのは、戦い方の意識と技術の面で、稲村氏を応援した人々はあまりに稚拙だったことだろう。しかし、問題はそれだけではない。
唐突に聞こえるかもしれないが、私はここで精神分析における「父」や「エディプスコンプレックス」についての議論を思い出す。
父は、社会的な権威において子どもに優越する存在である。より多くの責任を背負い、その責任を果たすための規範を内在化させている。これを父Aとしよう。しかしエディプスの場面で父は、母を子どもと取り合う同等の競争者となる。これを父Bとする。