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ソウル南山公園の安重根像(著者撮影)
「民族の英雄」に疑問を持つ韓国人も
韓国で最近、話題となっているミュージカル映画「英雄」をきっかけに、安重根(アン・ジュングン)と彼が狙撃・暗殺した伊藤博文に改めて焦点が当てられ、その再評価を求める声が上がっている。
映画では、伊藤博文は韓国を侮蔑(ぶべつ)する人物として描かれているが、実際はどうだったのか。
以下の内容の多くは、韓国人ユーチューバーの「キムチわさびチャンネル」と「WWUK TV」から教えてもらったものだ。
つまり韓国にも、伊藤博文を正当に評価し、「民族の英雄」と一方的に持ち上げられる安重根に違和感を持つ人がいるのである。
伊藤博文「朝鮮は朝鮮人が経営できる」
韓国統監だった頃の伊藤博文に面会し、彼が朝鮮と朝鮮人にどういう考え方を持っているかを直接聞いた証言記録がある。新渡戸稲造が書いた「偉人群像」(実業之日本社、1931年)という本だ。
新渡戸はこの中で「伊藤公は世間でも知る通り、『朝鮮は朝鮮人のために』といふ主義で、内地人の朝鮮に入り込むことを喜ばれなかった。ゆゑにしばしば公に日本人移住の策を献策しても採用にならなかった」とした上で、次のように記している。
(新渡戸が)「然し朝鮮人だけでこの国を開くことが、果してできませうか」といふと、(伊藤は)「君、朝鮮人はえらいよ。この国の歴史を見ても、その進歩したことは、日本よりも数倍以上だった時代もある。この民族にしてこれしきの国を自ら経営出来ない理由はない。今日の有様になったのは、人民が悪いのじゃなくて、政治が悪かったのだ。国さへ治まれば、人民は量に於ても質に於ても不足はない。」(同書310頁)
「韓国併合」に反対だった伊藤博文
日本では、伊藤博文が韓国併合に反対していたことはよく知られている。
当時の朝鮮は王室のぜいたく三昧で財政は破綻し、ロシアからの巨額の借金を抱えていた。
一方、日露戦争を終えたばかりの日本は、戦費で消耗し、貧しい朝鮮を抱え込むような余力はなかった。
しかし、それでも日本は、朝鮮にしばしば多額の借款を供与し、借金の肩代わりをしていた。伊藤は1895年(明治28)の帝国議会で、日本政府が朝鮮の財政を支援し続けることについて「朝鮮の独立の扶持する(助ける)ため」だと答弁している。(「伊藤公全集」第2巻37頁「朝鮮国の財政援助」)
安重根は「両班」の利益を代表していた
一方、安重根が裁判で語った内容やその生涯の足跡をたどると、朝鮮人が独立した個人として国を経営していくことを望んでいなかったことがわかる。
安重根は現在の北朝鮮黄海南道海州(ヘジュ)市にあった「両班」の家の長男として生まれた。
一家は多数の土地から小作料を取る大地主で、黄海道一帯で軍隊を動員して農民たちから勝手に税金を脅しとったり、収奪に抵抗する農民を討伐したり、横暴な振る舞いをしていたことが多くの資料でわかっている。
朝鮮は、両班と奴隷とに分かれる身分制社会だったため、日本人が国を経営していく方法を一生懸命教えても学ぼうとせず、むしろ嫌っていた。
両班たちにとっては、収奪の対象である奴隷に教育の機会とインフラが提供されれば、自分たちの既得権が崩れる恐れがあった。