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2/4(土) 9:06 日刊ゲンダイデジタル
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【プロはこう見る 経済ニュースの核心】
カリスマ起業家として一世を風靡したエイチ・アイ・エス創業者の澤田秀雄会長兼グループCEO(最高経営責任者)が、2月1日付で代表権のない取締役最高顧問に退いた。コロナ禍で打撃を受けた海外旅行事業が復調の兆しが見えたことを受け、退任を決意したとされるが、背後には資本性資金を供与した日本政策投資銀行など取引銀行団の圧力があったとされる。
【写真】香港ファンドに売却された長崎県のハウステンボス
澤田氏がエイチ・アイ・エスを立ち上げたのは1990年のことだ。当時、ソフトバンクの孫正義氏、パソナの南部靖之氏とともに「ベンチャー三銃士」ともてはやされた。
その原点は、大阪市立生野工業高校を卒業し、旧西ドイツのマインツ大学に留学していた時、アルバイトで稼いだ金で世界を回り、その経験を生かして80年に東京・新宿西口に旅行会社「インターナショナルツアーズ」を設立したことにある。格安航空券を販売し、ホテルとセットにした個人旅行は大当たりし、95年には株式上場にこぎつけた。
その後、ホテル事業にも進出し、新規参入航空会社「スカイマークエアラインズ」(現スカイマーク)の設立や、協立証券(現HSホールディングス)の買収を手掛けた。そして2010年に18年連続赤字だったテーマパーク「ハウステンボス」(長崎県佐世保市)の社長に就任、半年で黒字化させる離れ業を演じた。
しかし、すべてはコロナ禍で暗転した。コロナ禍で海外旅行客は途絶え、ハウステンボスの入場者数も激減、エイチ・アイ・エスは赤字に転落したのだ。資金繰りに窮した澤田氏は政府に泣きつき、日本政策投資銀行からファンドを活用した優先株を受ける。しかし、これがつまずきの始まりとなった。
「政投銀が優先株を供与したことで、エイチ・アイ・エスは国が潰さない銘柄となったことを受け、民間金融機関も協調融資を行った。しかし、これには2期連続赤字となれば融資を一括返済しなければならない財務制限条項が付いていました」(メガバンク幹部)というのだ。
■銀行団主導で“虎の子”ハウステンボスも売却
コロナ禍は想定を超えて長引き、行動制限は長期化し、赤字は続いた。さらに子会社によるGoToトラベルの給付金不正受給も重なる。財務制限条項に抵触しないためには22年10月期の黒字化が必達だった。
そのデッドラインを前に、エイチ・アイ・エスは虎の子のハウステンボスを香港ファンドに666億円で売却するとともに、247億円の資本を1億円に減資する道に踏み込んだ。ハウステンボス売却で得た特別利益と減資で累損を一掃する荒療治だ。陰で主導したのは政投銀をはじめとする銀行団だった。澤田氏は最後までハウステンボスの売却に反対したというが……。落日の感が強い。