どうして、息を吐くように「嘘」をつくのか? [きつねうどん★]at LIVEPLUS
どうして、息を吐くように「嘘」をつくのか? [きつねうどん★] - 暇つぶし2ch1:きつねうどん ★
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とあるFBの友だちが次々とアップする文章の内容が気になって仕方がない。やたら何でもできて、ほぼ何でも知っているとしか思えないのだ。

拭えない違和感
最初のうちは感心していたのだけれど、そのうち「人間ってここまで多才になれるのか」と思うようになった。やがて疑念が生まれ、そんなわけないとなって、今や虚偽にきわめて近いものに違いない書き込みを一種ダークなエンターテインメントとしてとらえるようになった自分がいる。

そこそこの数のコメントがつくこの人の書き込みの内容は、このごろさらにエスカレートしている。「十人の不良を相手にケンカしてボコボコにした」みたいな、格闘技イベントのオーディションで聞くような話まで出るようになった。何とかして自分を認めさせようという異常なまでに強い欲求がもろ見えなのだ。なんでそんなに必死なの?

明らかな嘘はあえてスルー
30年近く前に知り合いだったとある男性も、これに近いタイプの人だった。業界人とやたら親しいらしく、当時世界的に名を知られていたスーパーモデル数人から毎年必ずクリスマスカードが届くと言っていたが、実物を見せてくれたことは一度もない。

彼もまた、どんな話題も拾ってそこそこの知識を披露し、なかなかの蘊蓄を傾ける。周りの人間は誰もがもう少しで「そんなにいろいろやったことがあったり、そんなに多くの業界人と知り合いだったりすることなんてあるの?」というダイレクトな質問をぶつけるところまでいっていた。でも、あえてそうする人はいなかった。彼の言葉が明らかな嘘であることがわかっていたからだ。

病的嘘つき
パソロジカル・ライアー=病的嘘つきという表現がある。世の中には、呼吸と同じくらいのナチュラルさで嘘をつく人がいるらしい。特に意識しないまま嘘をつくのだから、“病的”ではなく“病気”そのものなのかもしれない。

30年前の知り合いの男性もFBの友だちも、ひょっとしたらこういう種類の人なのかもしれない。そして今の時代、病的な嘘つきたちに対して病理的な立場から専門的な考察が行われている。ここで紹介する『虚言癖、嘘つきは病気か』(林公一・著/インプレス・刊)は、現役の精神科医が手がけたケーススタディだ。

嘘だけで日常が形成される異常性
まえがきに次のような文章がある。

嘘つきを非難する本ではない。本書は、虚言者、または虚言者かもしれないケースの実例集である。だが彼らを非難する本ではない。そういう意図は一切ない。嘘はいけない。嘘は悪。それが人間社会の普遍ともいえる道徳律だ。嘘つきは泥棒の始まりという言葉もある。それでも本書は、嘘つきを非難しない。記載はする。分析もする。だが非難はしない。かと言って、嘘つきを擁護もしない。

『虚言癖、嘘つきは病気か』から引用

きわめて冷静な、そしてフラットな姿勢だ。嘘をまったくつかないという人はいないはずだし、嘘の度合いもさまざまだろう。ただ本書がフォーカスするのは、日常のすべてが嘘だけで形成されるような人たちの異常性にほかならない。


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