腰の刀は飾りじゃない!長さ規制に反発した戦国武将・大久保彦左衛門のエピソード [きつねうどん★]at LIVEPLUS
腰の刀は飾りじゃない!長さ規制に反発した戦国武将・大久保彦左衛門のエピソード [きつねうどん★] - 暇つぶし2ch2:きつねうどん ★
21/03/04 19:25:26.23 CAP_USER.net
鞘は短くしたものの……
翌朝、江戸城へ登った彦左衛門の姿に、一同は息を呑みます。
「彦左殿、それは……?」
彦左衛門が差している刀の鞘は、短く二尺三寸に切られていました……が、石突(鞘の末端)を突き抜けた白刃が、一尺余りも伸びていたのです。
URLリンク(mag.japaaan.com)
江戸城内を歩き回る彦左衛門。鞘から突き出した刃先が畳を傷つけている。錦絵「大久保忠教 権勢之図」より。
引きずられたその刃先は、畳であろうと板の間であろうとズリズリ、ガリガリ……ところ構わず傷つけました。
「こらっ、彦左……やめろ、やめないか……っ!」
日ごろ彦左衛門を快く思わぬ者たちが揃って咎めてもどこ吹く風、彦左衛門は江戸城内をあちこちと歩き回ります。
「鞘は木製ゆえ簡単に切れたが、刀は鉄ゆえそうも参らぬ。さりとて替えの差料を買う銭もなく、刀がなければ武士の奉公は叶わぬでな」
「えぇい、屁理屈を申すな!上様に楯突くつもりなら、切腹は免れぬぞ!」
ここまで言えば流石の彦左衛門も引き下がらざるを得まい……そんな周囲の眼差しを一身に受けながら、彦左衛門は呵々大笑。その声は城内に響き渡ります。
「……何がおかしい!気でも触れたかこの老骨め!」
「たわけ……切腹が怖くて奉公が出来るか!」
彦左衛門はその場で裃(かみしも)を脱ぎ捨て、傷だらけの上半身を露わにすると、一同は息を呑みました。
彦左衛門が訴えた、命の「意味」と「使いどころ」
「……この老いぼれが傷だらけの腹を切って、間違ったご政道に意見が出来るなら安いもんじゃ……これまで数多の戦場をくぐり抜け、とうに捨てた命の使いどころとしては、悪くなかろう?」
もはや戦国乱世も遠く過ぎ去り、その本分を忘れかけていた武士たちに、彦左衛門のメッセージがどこまで響いたかは分かりません。
URLリンク(mag.japaaan.com)
またある時は、大ダライに乗って登城した彦左衛門。誰が笑おうと、是と信じたなら断行あるのみ。月岡芳年「大久保彦左衛門盥登城之図」より。
しかし、彦左衛門の想いはその著書『三河物語(みかわものがたり)』によって後世へ伝えられ、現代を生きる私たちに、命の意味と使いどころを訴え続けているようです。
結局は許されて命を永らえた彦左衛門が世を去ったのは寛永16年(1639年)、将軍は三代目・徳川家光(いえみつ)の時代となっていました。享年80歳。
戦国乱世の遺風を湛えた彦左衛門の不器用な偏屈さは、今なお多くの人々に愛され続けています。
※参考文献: 岡谷繁実『名将言行録』岩波文庫、1997年12月
URLリンク(mag.japaaan.com)

3:Ψ
21/03/04 19:35:48.91 cy4YZIn0.net
今の日本人が英語にかぶれまくっているように
昔の日本人は漢語にかぶれまくっていた

4:Ψ
21/03/04 19:40:47.37 5yBsl13O.net
>>1
実際の所は圧倒的優位での戦しか出ていない癖に戦場に出ていることを自慢して管理者を困らす困ったジジイ。
しかも確かに戦場には出ているけど実践経験豊富な荒武者ではない。
戦った戦で負けあるいは負けに近い戦いは第一次第二次の上田合戦しかないし、基本的には徳川家に目をかけてもらって出世した文官なんだよな。

5:Ψ
21/03/04 19:43:02.62 5yBsl13O.net
>>3
漢語にかぶれたのではなく公用の正式言語は江戸時代になるまで漢語だ間抜け。
公用語が旧宗主国の言語で現地の言葉が別にある発展途上国みたいな状況だったのだ。

6:Ψ
21/03/04 20:06:50.16 CuLrKTuY.net
せめて二尺五寸はほしいわね

7:Ψ
21/03/04 20:09:27.70 G7j4RtvX.net
三河武士は頑固じゃのう

8:Ψ
21/03/04 20:22:43.38 lZnOVL4/.net
9cmだったんだろ
そっちのコンプがあるから見せかけの大刀を見せたがる

9:Ψ
21/03/04 20:25:39.48 KNUoiFPt.net
飾りじゃないのよ刀は、はっはーん

10:Ψ
21/03/04 21:53:57.52 xl2EKf9g.net
でも真田が突撃してきた時は逃げたんだろ


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch