16/04/30 12:25:20.94 uaWPiO1s0.net
>>10
●J・オースティンが描いた「自負と偏見」というインテリ男性向けに納得させる理詰めの小説を高校生で読んだ。
不良からマインドコントロールされた女主人公が、富裕層側の情報で目が覚める話だ。
「自負と偏見」では女主人公が教養のある人物だから、富裕層と会話がかみ合うこともあるのだろうが。
ところが、実際は違う。偏差値50大学では、「自負と偏見」がウソの言葉遊びになってしまう。
問題児のバイオ女は、不良にヘーコラペコペコし、不良よりも強い筋肉金持ちを避ける。
彼女たちは、モヤシ金持ちに濡れ衣を着せ無職破滅させ、弱ったところでモヤシに求婚し、モヤシに断られる。
コンビニ首の無能男なら、バイオ女からの濡れ衣で新卒切符を失うと一生無職だ。
不良が中瀬ゆかり症候群の真実を男便所で暴露して勝利宣言する。
「あの女たちは誰と結婚しても不倫で俺たちの子を産むリモコン女だ。」
私が田舎娘本人に確認すると、女カッペは共通して会話5分で奇声を発して精神錯乱を起こし、記憶と正気を失う。
「自負と偏見」では女が正気に戻るのに、バイオ女が会話内容の記憶を自己消去とは、小説のほうは言葉遊びだ。
小説の舞台が教養人の世界で完結するから、偏差値50じゃ世界が違う。
芥川龍之介の「羅生門」で若者の人格が老婆の言葉で論理的に悪へ変わり、「藪の中」では証言が理詰めで食い違う。
芥川龍之介はインテリの頭の体操だ。しかし、偏差値50では常に不条理だ。
太宰治の「トカトントン」で主人公が、勝手な幻聴で都合良く人格が変わる反理屈小説こそが、偏差値50の世界だ。
(幻聴トカトントン=気晴らし散歩の気分転換とも解釈できるが)
他人の幻聴まで聞き取る太宰治は、中学生水準の平易文章なのに、理詰めの芥川龍之介とは違う病的凄味がある。
エロ漫画で風船の破裂音幻聴とか、人格が変わる言い訳、転換点に太宰治の幻聴と似た手法が定着してる。
「女カッペは共通して会話5分で奇声を発して精神錯乱を起こし、不良に不都合な記憶を自己消去する。」
問題児のバイオ女たちは、不良の真実の姿を聞いたとき、幻覚幻聴によって脳の記憶の消去や改竄が始まるんだろう。
彼女たちは理詰めの芥川龍之介側ではなく、狂気を描いた太宰治側だ。