17/10/12 02:53:50.69 tChtSjTM.net
※第一次宗門問題の時に反逆した元創価学会教学部長。女狂いで大酒飲みで人望も何の力もなかったが、山崎正友から“会長にしてやる”とそそのかされ、その気になって学会を裏切った。
昭和54年6月ごろから9月にかけて山崎から毎月20万円前後の金が渡っていたという。同年9月、原島が当時勤めていた聖教新聞社から資料を盗み出した時は50万円程入った封筒が「当座の小遣いに」と渡されている。さらに同年暮れには1千万円の現金が山崎から渡された。
その後、アル中と糖尿病で体はボロボロに。この原島の病状について、日蓮正宗(日顕宗)に復帰後、女房の冨久子が妙縁寺機関紙『ゑにし』(平成11年7月1日付)に次のように書いている。
「平成9年9月15日に主人の母が他界してから主人はだんだん元気がなくなり、永年の糖尿病の上に、不安神経症、うつ病となり、やむなく職場を休職となったのです。その日から張りつめていた糸がぷっつりと切れた様に主人にとってはすべてが恐怖の世界となりました。