17/12/13 12:33:00.66 8MvzHn4E.net
私が見た東芝・西田元会長 原発について語った忘れられない一言
大西 康之
URLリンク(bunshun.jp)
発電タービンや原発などの重電事業を主軸とし「東電の正妻」と呼ばれた東芝では
長く、「東大工学部卒、重電出身」が社長の条件になっていた。
パソコンや情報システムといった新興事業出身の西田は、イラン現法からの「編入組」という経歴も加わって、長らく非主流の扱いを受けてきた。
中略)
頭角を現したのは1992年、東芝情報システム社の社長に就任し、不振が続いていた米国のパソコン事業を立て直してからである。米国で手柄を立て、本社の役員に凱旋した西田にインタビューしたことがある。
中略)
頭の回転はめっぽう早く、弁舌は爽やか。少ししゃがれた声で自信満々に話すその姿は、往年の田中角栄を思わせた。
専務時代、2003年度第3四半期に142億円の赤字だったパソコン事業を翌年同期に84億円の黒字に転換させ「西田マジック」と呼ばれた。
この豪腕ぶりに目をつけたのが、今年亡くなった当時会長の西室泰三である。
このときの黒字転換は、のちに問題となる粉飾の一種、「バイセル取引」を使った疑いが持たれているが、経団連会長の座を狙っていた西室は、清濁併せ吞む西田を「使える」と判断した。
本来、次期社長の任命権は社長(当時)の岡村正にあったが、西室は岡村の頭越しに、西田を社長に引き上げた。岡村は「人事権を奪われた」と涙を流して悔しがったとされる。
中略)
教養にあふれ、リーダーシップに富んだ経営者だった。しかし最後のインタビューの一言が頭から離れない。
「僕は社長時代、2回も福島第一に行っているんだ。原子力の本も読んだ」
このレベルの知識で54億ドル(当時のレートで約6400億円)の社運をかけた買収を決めていいはずがない。
洗濯機から半導体、原発まで作る「総合電機」という化け物を意のままに御せる経営者などこの世に存在しない。誰よりも西田本人がその矛盾に悩んでいたはずだ。
ご冥福をお祈りします。