スーフリ和田は慶應上智落ち早稲田政経at JSALOON
スーフリ和田は慶應上智落ち早稲田政経 - 暇つぶし2ch1:名無しなのに合格
24/06/18 12:41:14.16 8P4j32yQ.net
週刊新潮 2019年2月21日号掲載
独占手記「刑期を終えた『スーフリ事件』主犯『和田サン』懺悔録」より
当時は、何となく「将来は大企業に入りたい」とだけ思っていた。父が自営業だったので、自分は安定した暮らしがしたかったのです。結局、大して勉強しないまま「仮面浪人」をして、慶應と上智は落ちたけれど早稲田の政経には合格。
ディスコのバイトをしている間、スーフリは新入生歓迎の春以外は活動しないという、半ば休眠状態になっていました。その頃は飲み会やパーティーを開いてもまるで人が集まらなかったのですが、バイトを辞めて時間ができ、98年の4月に六本木のクラブでイベントを開いたら、500人以上が集まって「大成功」してしまった。それで味をしめ、以降はイベントが生活の中心になっていったのです。実入りはさほどありませんでしたが、大勢集まるイベントの主催者として、すっかり悦に入ってしまった。元来、私はサービス精神が旺盛で、相手に調子を合わせて喜ばせたいという願望が強くあり、自分の立場に酔っていたのです。
スーフリが変貌した98年4月とは、バイトを辞めて暇になった私が仲間を集め、毎日のように高田馬場駅前でサークルの勧誘を装って即席の飲み会を開いていた時期でした。その席にたまたま“まわし”の経験がある男がいて、さらにこれもたまたま、勧められるままお酒を飲んでしまう女の子が2人いた。で、私の後輩がどんどん飲ませ、泥酔したその2人を近くの自宅に連れ込みました。店に残った私も後輩から呼び出され、その日初めて“まわし”に加わったのです。ちょっと尻込みした反面、その頃は感覚も麻痺していて“目の前にいるなら撃って(注・性交の隠語)おかないと”と思ったのは事実です。その日は5~6人で2人の子を犯しましたが、トラブルにもならず、最初にうまくいったので、以降どんどんエスカレートしていきました。
一対一のセックスから、なぜ輪姦へと移っていったのか。にわかに信じてもらえないでしょうが、正直に言えば、それは私が“セックスできる女性を独占するのは他の参加者に悪い”“自分だけがおいしい思いをするのはズルい”という、狂った感覚に囚われていたからです。被害に遭った女性からすればたまったものではありませんが、ちょうど後輩や友達に食事をおごるような気分に近かった。初めての“まわし”から事件が発覚するまでの5年間で、手口は洗練されていきました。私が具体的に指示をしなくても、後輩たちが勝手に流れを作っていく。そのシステムを構築してしまったのは、私でした。
メンバーの中には、どんな女性とセックスしたかをすべて「ギャル帳」にメモっている者もいましたが、私の場合は200~300人ほどでしょうか。


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch