15/06/19 04:37:59.38 RCQCEhkR0.net
「私には私の基準がある。あんたの息子、写真で見たが何だありゃ。
私はこんな不細工な醜い生き物に興味など持たない」
陪審団が評決についての審議に向かう際、ハールマンは陪審団に向かってこう言った。
「今更刑の軽減を訴える気なんてないから、評決は手短に頼むよ。クリスマスはあの世でお袋と一緒に過ごしたいんでね!」
12月19日、起訴された27件の内24件の殺人について有罪となり、ハールマンは死刑を宣告され、グランツも2件の殺人幇助で死刑を言い渡された。
もっともクリスマスを最愛の母・ヨハンナと一緒に過ごしたいというハールマンの願いは、残念ながら1924年には実現する事はなかった。
彼がギロチン形に処せられたのは、翌1925年4月15日の事だった。
余談になるが、ハールマンが死刑判決を受けてからの2ヶ月後、郵便配達人が歩道に落ちている手紙を拾った。
筆跡はハールマンのもので、宛先はグランスの父、アルベルト・グランスだった。
おそらく警察に連衡される途中で、ハールマンが車から投げ捨てたものであろう。手紙はグランスの父から、デオドール・レッシングに預けられた。
この手紙の中でハールマンは「ハンスはどの殺人にも、一切関与していない」と書いている。
「例えば『彼が欲しがっていた服を着ていた少年を殺すようハンスに命じられた』などハンスも共犯だと裁判で証言したのは警察に強要されたからであり、
私がハンスに不利な証言をすればするほど、私への待遇が良くなっていった」
さらに「私は罪を墓場まで持っていく事は出来ない」とし、グランスはまったく無実である、と訴えている。
実際にグランスは刑を不服として上訴し、懲役12年に軽減された。